トヨダヒトシの作品を見たのは、僕が当時東京綜合写真専門学校の学生だった2007年の6月。タカ・イシイギャラリーでのスライドショー「spoonfulriver」だった。続けて、翌月7月にあった東京都現代美術館での「NAZUNA」も見た。トヨダヒトシの時間の中に引き込まれていく不思議な感覚を味わったのを忘れられない。2つの作品をを見た後にトヨダ氏に感想のメールを送った。何度かのやり取りの中で何か一緒に仕事をしようということになった。当時の僕は単純にトヨダ氏の作品をもう一度見たいと思っていたし、彼の作品を多くの人に見てもらうべきだと考えていた。
ニューヨークに住むトヨダ氏とは電話とメールのやり取りを繰り返した。何のやり方もわからず始めたことだったのでトヨダ氏にはずいぶん迷惑をかけたとも思うが、同時に一つ一つを丁寧にやっていけばなんとかなるとも楽観していた。
翌年2008年初夏、5月と6月に3ヶ所でスライドショーを開催した。
5/24 東京綜合写真専門学校(An Elephant’s Tail)、
6/7 多摩川河川敷(NAZUNA)、
6/13 旧四谷第四小学校校庭四谷ひろば(spoonfulriver ※直接の企画ではなく四谷ひろばとの共同企画)
中でも印象深い場所は多摩川河川敷でのスライドショーだ。
雨での一週間の延期を経て、むかえたスライドショー当日。過ごしやすい気温だったが、風が強かった。午前中から準備は始まり、十数名の学生ボランティアの手によって幅7m×高さ6mの工事現場用の足場が段取りよく組まれていった。順調だったのはここまででハプニングはそれから起きた。スクリーン用の布にはハトメがついていて、そこにロープを通して足場にくくりつける、という作業の中で巨大なスクリーンは風をもろに受けてしまいハトメは音をたてて次々とちぎれていった。スクリーンはバタバタと風で何度も舞い上がり、なんとか人が手で押さえている部分だけで持ちこたえていた。お客さんはスクリーンが舞い上がる度に「お〜っ!!」と声を上げ、なにか楽しんでいたようだったが、こちらは「もうだめだ」と思っていた。開演時間ギリギリになってお客さんの男性の助言で石に布を巻き付け、それを足場に巻き付けることでスクリーンはなんとか完成し、いよいよ上映を迎えた。
上映が始まるとさっきまでの風はパタリとやんで、広い多摩川の河川敷に7m×6mのスクリーンに一枚目の写真が映し出された。僕はトヨダ氏がスライドプロジェクターを操作している足場の上で作品を見ていた。彼は足を中空に投出して座り、右手に持ったプロジェクターのリモコンで一枚一枚の写真を丁寧に送っていき、左手に持ったビールを時々口にしながら時間を過ごしていた。スクリーンの後ろを電車が横切り、遠くに街の明かりがみえた。約90分のスライドショーはあっという間に終わった。学生の企画でありながら、150名近くのお客さんが訪れてくれて無事に当日を終えた。
この2008年のトヨダヒトシのスライドショーは、ぼくにとって、なにかの後ろ盾がなくとも個人として発信し実践していくことが可能なのではないかと考えるきっかけになり、今後もなにかやっていくべきだと思っていた。そして、写真専門学校を卒業する頃、2009年の2月に小林晴夫に声をかけられた。学校の講師でもあった彼はトヨダヒトシスライドショーの企画の一部始終をみて、なにか感じてもらえたらしく、今後一緒になにかやらないかと誘われた。そういう経緯で僕はblanClassの立ち上げに参加した。美術やディレクションの教育を受けていない自分につとめられることなのかと考えもしたが、僕にとっては、なにもないところから始めるいいタイミングだったし、わかっていることは少ないけれど、とにかくはじめてみようと快諾した。
明日はトヨダヒトシとの2年ぶりの仕事になる。blanClassを始めるきっかけにもなったという点で僕にとって特別な夜になるだろう。
はたのこうすけ