ナノ・ソートのナノ・トークについて

すでに触れたように、不確かな考えについて話していこうとしているわけですが、問題は、それについて話すというのはどういう意味を持つのだろうということです。あるいはそれは、通常大学などで行う講義でもそうだろうし、あるいは、パネル・ディスカッションなどよりフォーマルなトーク・イヴェントでもそうでしょう。展示や美術館、作品そのものなど、あらゆる分野で問い直しが進んでいるのだとすれば、当然それは講義やレクチャー、トークにも及ぶことになるはずです。僕はそれらを、現実と距離のある、解説や分析としてではなく、ひとつの実践としてとらえたいと思っています。つまり、乱暴に言えばそれらは、一枚の絵画や彫刻、インスタレーションや映像と同じだということです。こうした考えは、あるアーティストとも話し合いをしていて、《school》という名称を与えることで、作品としての性格をより明確化しようと考えています。今回のトークも、こうした活動の一環であることはいうまでもありません。どうなるか不明の部分も少なくありませんが、定型のものを再生するようなトークとは異なる、ある意味危なげな状態をお楽しみください。

なお、先日放送したプレライヴでは、危ない飲みもの調合中だったのですが、ここにきて問題が発生しています。なんと使用予定だったドリンクが、セレブ御用達とかで品薄であることがわかりました。セレブと同じ趣味というのもショッキングですが、果たして、調達は可能なのか否か? 結果は、会場にて!


杉田敦