中村達哉+山本麻世 [場所から場をつくる]|小林晴夫

 今週は今週の+nightは、山本麻世がインスタレーション、中村達哉がダンス、場所を創造するコラボレーション!! 現在、月曜日から本番の土曜日までみっちり場所づくり中。
 中村達哉はblanClassでは、昨年の6月に吉本伊織作品「キレギレ」への出演、10月にJunko Okudaとの共作「from ENTRANCE to EXIT」と、今回で3度目の出演になる。
 今年の6月にBankARTのオープンスタジオで発表した小品のことを、少しだけコラムでも触れ、
「中村のソロは黒いスーツ姿のうたた寝からはじまる。不条理風の立ち上がりから、終始おどけたようにもメランコリックにも見える所作でダンスする。音楽がない空間に好感を覚えたが、そのせいなのか全体に静かで、一辺が60cm(?)ほどの白線で引かれたスクエアーやメトロノームに規制されたりと、仕込まれたタイトさも心地よかった。」
と書いたのだが、その前の4月、「ヨコラボ ’10」中村達哉コース、ワークショップの発表公演「またたき/たちくらみ」(森下スタジオ)を観にいった。「またたき」と「たちくらみ」の二部構成となっており、動的な運動会みたいな1部と、静的な群像情景の一場面のような2部とのコントラストに仕上がっていた(そういえば、舞台美術を吉本伊織が手がけていて、いつになくミニマムな作品を舞台に添えていた)。
 終わった後、ロビーで中村くんと話していたら、ギリシャ映画監督、テオ・アンゲロプロスの映画みたいな世界観をつくりたかったと、言っていた。そう言われてみたら、2部の「たちくらみ」という作品は、ゴヤとかクールベなんかが描いた群像のように、絵画的に人々が配置、構成されていて、そのうえまるでスローモーションで編集されたみたいに、それぞれのキャラクターが静かにたたずんでいた。だから思わず観ているほうも右からゆっくりとロングショットのパンをしながら眺めてしまった。
 1部の運動会、「またたき」では、ダンスを構成するシステムやルールづくりが、スポーツが持っているゲームみたいなたのしみを抽象化して示しているのかな? などと思ったりもしたが、彼の興味はパフォーマンスを観ながら、映像を観る脳みそを刺激することにあるのかもしれない。
 今回はもう一度「場所」に立ち戻って考えるというから、その映像視の脳とは、また違う試みなのかもしれない。中村の場合のコラボレーション、そのコミュニケーションはどうやっているのだろうか? も気になる。ワークショップなどで制作する場合は、個別の身体を相互に確認するようなことをしていくのだろうか? 今回はインスタレーションだから、これもまた踊り手同士の対話ともひと味違うのだろう。
 山本麻世の作品は、さきほどポートフォリオなどをめくりながら、ご本人からお話を聞いたところ。屋外に不思議な違和感を備えている状況を見つけ、というのは、管理された自然と、機能する人工的な構造(フェンスとか、欄干とか、柵とか)みたいなものの間にある隙間を、柔軟性のある素材を編んだり押し込んだり、手触りしながら巡る思考を頼りに、異質な両者を結んでいくという仕事をしている。
 直感的に「隙間でデッサンしているんだ」と理解した。そのことが作品に与えられたコンセプトより際立って面白く思えた。
 という山本麻世と中村達哉はどんなコラボレーションをするのだろう? そのきっかけとも言える文章をいただいたので、すでに一文掲載済みなのだが、それも加えて寄稿文として下に掲載する。


こばやしはるお