白い家、白い街

1週間に2回、しかもわずかな時間しかテレビが見られないので、目を血走らせてガン見していると、偶然飛び込んできたヘーベルハウスのCMにはっとさせられた。住宅の密集する郊外の住宅地を俯瞰しているとその中に一件、真っ白い立方体が挿入されている。カメラが近くに寄るとそこには電線の影が映っている。上面で猫が気持ち良さそうに昼寝をしている。雨の水が壁を打っている。角が空の一部を隠している。

美術館やギャラリーのホワイトキューブが、自らを消去して内包する作品に意識を誘導するのに対して、CMの立方体はむしろ目立ち、積極的に外部と関わりを持つことによって周囲との関わりを浮き彫りにしていく。それは既にあり、日常いくらでも見ることができる類いのものだが、意識の狭間に落ちてしまっていてなかなか気づくことができない。目をリセットして一件の家を見てみると、街が実に雑多かつ膨大な関係の集合体であることまで見えてくる。

同じような感覚を別の場所でも感じた。先日までGallery間で行われていた「311失われた街 展」、被災前の東北の街々を1/500スケールの白模型で再現したものである。もう存在しない街。極めて感傷的な要素を含んでいるにもかかわらず、実際に訪れるのとは違った角度から、冷静に街を眺めることができた。色やテクスチャーまでが再現されていたら逆に気づかないことがあったと思う。高い精度で再現され、同時に程よく省略された描写には十分すぎるほどのリアリティがあった。それはいわゆるリアリズムではなく、モノとモノ、コトとコトの関係性を明らかにするという思想に基づいた明快なものであった。

あの立方体から街を見てみようと歩いているのだが、気づいた時にはなぜかいつも通り、レンズ越しの長方形からばかり見ようとしてしまう。これがサガというものか・・・


みきよしかず