オルタナティブであり続けたい(2019_8-9)

f:id:blanClass:20190730093948j:plain

 

blanClassはプレファブリックな建物。屋根も壁もとても薄く、猛暑日は冷房がほとんど効かないくらい暑くなるので、2012年から8月は夏季休業を取るのが恒例だったが、今年の10月は10周年記念とクロージング関係のイベントが中心なので、通常のイベントが9月だけでは収まりきらなくなり、久しぶりに8月も開けることにした。なので、このチラシは8月と9月分、10月分はあらためてということになった。

ちなみに10月最後のイベントは10周年記念イベントではなく、「ステューデントアートマラソン」の予定。このチラシを作成をしている現在、そろそろ応募の〆切が迫ってきているが、まだ応募者はちらほら…、でもまあ、ギリギリになってもなかなか埋まらないないのは毎度のこと、また今回も土壇場でジタバタするかもしれない。

(案の定、現在、追加募集中です。スチューデントアートマラソンvol.15の参加者を追加募集します! → http://blanclass.com/japanese/schedule/20191026_want_ad/

なぜラストイベントを「ステューデントアートマラソン」にしたかというと、ある意味で最もblanClassらしいイベントだと思ったから。そもそもこのステューデントイベントは、いろいろな教育の場で、なにかしら表現を始めてはみたけれど、自分の所属する専攻とマッチングがあわなかったり、卒業後、社会にすでにある、どういう専門にも、どんな領域にも、いかなる職場にも、ハマらないような気がする…。そんなステューデントたちが、一度今自分がいる場所から離れて、一息つけるような場をつくりたいという思惑があって始めた企画。

いまあらためて考えてみると、それは「ステューデントアートマラソン」だけのコンセプトというより、blanClass全体の運営理念でもあったと思う。

私は、いつの世も既存のどんなジャンルからもはみ出している表現や発言こそが「アート」なのだと信じているところがあって、意識的にそう主張してきたのだが、どんなジャンルからもはみ出しているという のは、端から見るととてもわかりにくい。その上その状態をキープするというのは至難の技、良くも悪くもどこかしらに収まってくるもの。そうなると 「アート」だということ自体に矛盾を感じる。

その昔大先輩に「お前に立つ瀬なんてねぇんだよ」といい捨てられたことがある。オルタナティブでアートな環境で育ってしまった私が、どんなに相反するような価値観にでも一定の共感を示すくせに、いちいち反発する様子を見て放たれた喝だった。その時の私は特別悪いことをしたわけでもなく「拠って立つ処がない」といった方が正解だった気もする。それがトラウマになったということもないけれど、未だどこにいてもアウェー感が拭えない。最近ではホームなはずのblanClassにいてさえ、浮いている気がする。

普通に考えたら、どんな活動でも、活動を進めていくうち、成熟というのか、主流になっていきたいと思うべきなのかもしれない。でも私の場合、どうしたってオルタナティブであり続けたいと願ってしまう。それって、確かに拠って立つ処が得られないということ。もうひとつというより、幼い選択なのかもしれない。                        

それでもどこかに収まることで、いろいろなものが失われてしまうことに納得がいかない。結局は10年を機に思い切ってリセットすることにした。そのリセットは「これでお終い」ではなく、これまで担った役割とは違うなにかの始まりであればと願っている。

 

小林晴夫(2019.8-9 チラシ掲載)