アトリビュート|見知らぬ人の残した持ち物   杉本智子

 私はこれまで特定できない誰かである“ある人”を問い、見る側の内的空間につくりだそうとする作品を制作してきました。
1992年の" Red"の頃は全くそのことに無自覚に制作に向かっていました。“Pink”や“HI-YO-KO”も、あらわれてくる“ある人”をそのまま表していました。
1993年「杉本智子様展」と題した展示では、杉本以外の誰かの杉本にむけられるまなざしを杉本自身の中につくりだし表しました。
その頃の一連の私の作品について1998年、岡崎乾二郎氏(岡崎ゼミにいた関連から)は以下のように言っています。


"たとえば記憶に残るもっとも印象深い、杉本智子さんの作品、プロジェクトに以下のようなものがあります。

実際は実在しない見知らぬ人の残した持ち物(アトリビュート)によって、その人物の実在と行動のテリトリーを暗示するというプロジェクトです。つまり歴史的に絵画において聖人を描くときに、その人物のもっていた持ち物によってその人物を暗示するという手法を適応したものです。杉本智子さんは、このバランスのよいセンスと分析力だけでなく、何より意思力と強い構築力の必要なプロジェクトを、精神科病院で働きながらのフィールドワークの積み重ねから生み出したのです。杉本さんの綿密に編み上げられた定期、切符、入場券など。ありとあらゆる日常的な小物の集合を、まさに我々はある実在する人物のアトリビュート、痕跡、兆候として、実際は現前しない人物のユニークなキャラクターと、行動のテリトリーの実在をリアルに信じ込まされてしまったのです。"


氏の言葉は、制作に向かう自分の中にあるものを整理するきっかけになりました。“アトリビュート”(持ち物)という断面で見てゆくと、はて私のやっていることはなんなのかと”考え、作品を分解したり、組み立て直したりする作業をやってみた結果、確かに“アトリビュート”という言葉で置き換えられるような、何かを見出し組み立てることで“ある人”を表出し、見る側の内的空間に立ち顕われる事を望んでいる自分の制作を自覚する事ができました。
その後は、逆の発想で、であるならば実在する人物に“アトリビュート”(持ち物)となるものを見出す事もできるだろうと考え、プロジェクトも始めてみました。この事については改めてお伝えできればと考えます。
その後、“ある人”を問う作品制作が続く中で、2009年12月私はカメラと出会いました。
これまでハンカチや本や“ある人”の癖など、属性(アトリビュート)で“ある人”を暗示してきたましたが、カメラを借りて写真を撮った時、そこにはもっとダイレクトに誰かに会っているような不思議な感じがあったのです。
そして、まさに“まなざし”そのものが“アトリビュート”(持ち物)になりえると感じ、映像を中心にしたインスタレーション作品“彼女がみたもの ”She saw seriesをはじめることに向かいました。
私にとってはアトリビュートと呼べるもの(属性)を使う事は、全体(実体)の表出を目指しています。
そこに戻って考えると、“まなざし”はこれまで暗示に使用してきた具体的なアトリビュートでないにも関わらず(アトリビュートを超えているものかもしれません)“ある人”という全体(実体)に近いものであります。そのことが解った時にこれから進めてゆこうとするShe sawシリーズに大変希望を持ちました。なぜなら“ある人”は、どんどん殻を無くし境を無くし手帳や本など具体的な何かを見せる事なく、しかし顕われるのです。かすかに“ある人”として。
私はそんな風に顕われる“ある人”にShe saw seriesを制作する課程で起った現象の中で何度も出会いました。


 たとえば、ある夜、暗いはずのクローゼットの奥から淡いピンク色の光が瞬間ひかり、何かを知らせてきました。
ほかに、ある日作品に出てくる登場人物を考え胸の内を辿っていたら、その翌日まさにそのような人に出会いました。

 求めるものが自ずと作品や現実に表れてくるように感じられてきました。
その中で、私が出会った“ある人”はある時代においては「魂」「聖」と呼ばれてきたものたちだということを制作によって知りました。


私は制作を始めた頃から、誰かを暗示しながら、誰をも暗示できる「現代の聖人」を描いていたのです。


(イタリックは岡崎乾二郎氏の書いた文章の引用)

※以上は2010年5月に書いたShe sawシリーズのディスクリプションに手を加えたものです↓
http://www.tomoko-sugimoto.com/special-feature



すぎもとともこ(アーティスト)