水曜日/鉄腕アトム・ホットドック兵団の巻|秦 雅則

今日、私はダルい。ビール飲んで、テレビを見ながら笑顔の形を作っている。
そして、パソコンを膝の上に置き、この寄稿を書き始める。
そうすると、なんとなく顔が真面目な顔の形を作っていくのが分かる。



私は、今日、普通。




今日は、特別なことは何もなく自分は普通の人間だったと思う。朝、8時半くらいに起床しアルバイトに行く。そして、15時くらいに休憩を1時間。その後、20時までアルバイト。それから、家に帰って食事してテレビを見る。おもむろにパソコンを開きインターネットに繋ぐのだ。ネットに繋いだらユーチューブとか聞きながら、この寄稿を書かなきゃと思ってテキストエディットを開く。
その開かれた文章を書くためのボードに、カタカタカタと文字を打ちこんでいく。それこそ、カタカタカタと同じスピードで打ちこんでいく。



得に、思うことなど無い。



なので、本日の画像は(そういう時は、思い出話をするに限る)アトムの写真を選んだ。
この写真は「鉄腕アトム・ホットドック兵団の巻」という写真だ。

ただし、私の思い出は鉄腕アトムではなくて、その生みの親である手塚治虫のほうだ。私は子供の頃、手塚治虫が好きだった。彼の漫画全集を全て持っているんじゃないかというくらいに、集めていた。そして、彼の教育を受けたと言っても過言ではない。今でも、彼は漫画を読む少年少女/青年に教育をするために、漫画を書いていたんじゃないかと思っているところがある。それも、善も悪も過去も未来も。そんな私が、初めて非現実世界での出来事で泣いたのは、彼の漫画(確か、白いパイロットという漫画)だったし、性に触れたのも、戦争や自己否定を知ったのも、彼の漫画だった。後に、いろいろな漫画や本を見たが、子供の頃に古本屋(その当時の古本屋は臭かった)で難しそうな本に囲まれた彼の漫画を探し出し、大人に混じり買うということだけでも楽しかったものだと記憶している。今のように、新品や新品に近いリサイクル本を普通に買うのとは、なにかが違うような気がする。やはり、あの古本屋のカビ臭い匂いを思いだして懐かしいと思う日があるし、同時に手塚治虫を懐かしいと思う…そんな、私が居るのだ。

そして、この「鉄腕アトム ホットドック兵団の巻」という写真は、その私の懐かしみを最大限に引き出してくれる。カビ臭い匂いすらしそうな感じの下手うま?な絵に、ホットドック。ただ、それだけの写真なのだが記憶のどこかをくすぐるのだろう。ただし、なんとなく現代の時勢においては懐かしいなと思うだけではなくて、アトム=21世紀の未来を舞台に、原子力(後に核融合)をエネルギー源として動き、人と同等の感情を持った少年ロボット/アトムが活躍する物語。という、内容について少し考えさせられたりもするな…と、いま思ったりもした。私は、原子力発電について絶対反対という意見は未だに持っていないのだが、それも、もしかしたらアトムやゴジラの影響なのかもしれない。それに、アトム(ゴジラは人間にとっては善と悪の両方の面を持っているので、少し違うかもしれないが)だけの話ではなく、核に対する抵抗が強いはずの日本でも、夢のエネルギーとして原子力を前向きに語った時代もあったということは、忘れてはいけない事だろうと思っている。それは、背負うとかっていう阿呆な話じゃなくて。

それを語ったのも、ただの馬鹿ではなくて、私や貴方と同じような、普通に、馬鹿な、人間、だったと思うからこそ。




あっ、気がつけば、なんだかんだと思ったり考えたりしてる…。
でも、今日の話は、そういう超普通な話。










はたまさのり(私は、今日、超普通の写真家。水曜日の夜、ビール飲みすぎでお腹が出てきても気にしない…21時58分)