未来から降りてくるもの

 多田さんからメールがきた。
 「帰り道、道を間違えて遊行寺の横にいたので面白いものだと思いましたが、それでも一時間で家に着きました。」遊行寺一遍上人所縁のお寺。そこで毎年行われる「一ツ火」の法要がすごいらしい。闇のなかでの念仏、一ツ火のなかでの念仏。見たい。
 実は先週、多田さんと深夜2過ぎまで話し込んで、遊行寺も話に登場していた。多田さんが帰り道に迷った先が、その遊行寺だったというのだ。デヴィッド・リンチの「ブルーベルベット」みたい。
 メールは「不思議なことに」と続く。「空っぽの部屋(blanClass)で見た変わったパフォーマンス映像(丸山由貴とおととことばこ)が何だろうか」と、遊行寺の境内で考えていた多田さんに降りてきたアイデアは「祝う芸・説く芸・語る芸・商う芸・流す芸など、ほぼ廃れてしまった放浪芸というもの」だった。「猿回し」に代表される素朴な芸能。多田さんは家に帰って小沢昭一が収集した芸能のCDを引っ張りだして聴きなおしたそうだが、猿回しの口上1つとっても、1人1人違う凄みを感じるという。
 「祭のある場で必ず見られる光景だったのですが、何だったのだろう」「今はどうでしょう。ストリートパフォーマンスや大道芸も、なぜか命のかかってない遊びのような気がするのです。」放浪芸を商う芸人たちの凄みは日々のおまんまにありつくためのそれだった。そして「未来からやってくるとしたら、どういうものだろう。」多田さんは、古来の文化のあり方と現在の文化のあり方とのちょうど中間にいて、未来の文化のあり方を想っている。「それで降りて来たのが、少し前まで日本のどこにでもあった放浪芸」というわけだ。
 「〈空間と場〉祭の儀式そのものと、そこで起こって見られる放浪芸のようなもののなかに、新鮮に本質が見え隠れする。」あるいは多田さんは、祭り本体と、そこに集う雑多な放浪芸、それをつなぐ人々のあいだに、〈場〉も〈空間〉もスッポリ納まっていると、言いたいのではないだろうか。
 「何もないからっぽの中から、少なくとも演者は見えているのではないか、見ようとしているのではないかと思うのです。共にする少数の者たちが確認できたのは幸いです。このこと、続きを考えていきましょう。」とメールは結ばれていた。
 〈場〉と〈空間〉が多田正美氏とblanClassとの当面の命題になった。この続きは多田さんにコラム参戦という形でお願いしているのだが、ゆくゆくは、多田さんのみならず、このサイト内にいろいろな人のブログを置きたい。というわけで、現在Web担当の波多野くんは奮闘中! たぶんたった今も…。
 明日(もう今日だけど)11月14日(土)の+night出演の岡田貞子は、放浪芸とまでいえるかどうかはわからないが、日本の古い芸能に通ずる感性がある。実家が法被やなんかの捺染の職人のお家というのも関係があるかもしれない。たしか浪曲だとかお祭りをチェックしていたはず。
 この流れで興味を持った人は+nightにぜひ足を運んでほしい。

小林晴夫