7月24日(土)のステューデント・ナイト vol.2は、なんだかすごかった。「面白かった」では足りない。私はその日、すっかり目撃者と化した。
まず驚いたのは、その表現の多様さだった。フィクションにはじまり、ドキュメンタリー、インスタレーション、音響作品、アニメーション、VJ、パフォーマンスと、その形式もそれぞれが複合的で、さらに彼らが獲得している問題も、「不在・空虚」、「トラウマとの対峙」、「空想・兆しとしての美しさ」、「ひとくくりの風景にある無数の生命」、「機械が内在している電流としての音源」、「画像と対峙する仕事・指令と実行」、「サイン波の分解と複合・音楽と音響の差異について」などなど、それぞれに切実、かつ多様なものだった。
またどの作品もクォリティーが高かった。それはパソコンやネット環境が発達したこともあるのだろうが、技術的なこと以上に驚いたのは、問題意識がクリアーなことだった。
私を含めた同世代が20代だったころよりも、うんと成熟している。当時、私が夢想していながら、なかなか実践できなかったことを、彼らは軽々と実践している。最近の日本の状況が、ガラパゴス化とか鎖国状態とか言われているが、単に物まねの時代が終わったのかもしれない。戦後から(あるいはもっと古くから)現在までに紆余曲折し混乱していた文化的なコードが潜在的に若い世代の血のなかに統合してきているのだ。思っていたよりも、いまこの国の文化は、気がつかないうちにずいぶんと成熟しているようなのだ。
ことによると「クールジャパン」だって国内では化石化してきているのかもしれない。現在の20代は、もはやサブカルチャーでは飽き足らないのだ。いよいよ大人の文化が、それもいままでになかったタイプの文化が花開こうとしている。
こばやしはるお