豊富なアイデアとイメージで圧倒 池宮中夫 Wüst-我々の巨大な僻地

水牛 健太郎

 会場が暗くなってしばらくして、池宮が舞台となっている部屋の上手寄りに立っているのに気づいた。厚手のコートのようなものを羽織り、闇の中にたたずんでいる。麦藁帽子をかぶり、案山子のようにも見える。徐々に照度が上がり、目に映る情報量が増えると、池宮の顔や手足が真っ黒に塗られていることがわかる。黒人のような茶色がかった黒さではなく、カラスの羽のような、どこか艶めいた、不穏な黒さだ。幼いころに冷蔵庫に入っていたカルピスのトレードマークを思い出す。異界に通じる怖さが共通している。
 池宮の動きは終始ゆっくりしており、姿勢は低めだ。「うごめく」という言葉がぴったりする。夜が更け切ってわずかに明るくなりかけた時間、公園をぶらついていて、このような姿に出会ったら、という想像が頭から離れない。見てはいけないものを見たと感じ、頭では逃げようとするが、それでいて目を離すことができないのではないか。そうしているうちに、どこかとんでもない所に連れて行かれることになるのでは。
 公園の連想を誘うのは、下手側の窓にくくりつけられた木の枝のせいでもあるだろう。そこに、またよく見ると脱ぎ捨てたコートやいすなど、いろいろなものに、赤い糸が結んであり、池宮は時々それを引っ張りながらゆっくり動き続ける。時々客席をかっと睨みつけながら。床を這いまわり、コートを引きずる。じっと見ていると、時間の長さがよくわからなくなる。ずっと続いているような、それでいて一瞬のような、不思議な時間の経ち方をする。
 動きはゆっくりであるが、緊張感は高く、窓の桟によじ登ったりもする。窓からは蒸し暑い空気が流れ込む。やがて顔からは滝のように汗がしたたり、手足の黒塗りははがれてきた。池宮が部屋の隅にたたずむとどこからか鈴が飛んできて、床に転がってちりん、ちりんと音を立てる。正面奥の窓の外に張り出した木の枝には、赤や黄色の電球が灯り、意外なほどの美しさだ。
 やがて池宮が上手の袖からピーナッツの袋を取り出し、観客の間に回すよう促し「1人5個です」と言うとほっとした空気が流れた。そうして得体の知れない存在から人間に戻った池宮はひとしきり、今度は躍動感のある速い動きのダンスを踊り、パフォーマンスを終えた。豊富なアイディアとイメージを提示していく技術に圧倒された1時間だった。(みずうし けんたろう、1967年 – /評論家。劇評メールマガジン「ワンダーランド」編集長 http://www.wonderlands.jp/