映画「MORE」のこと

 震災の影響のため当初3月に予定していた「東京藝術大学大学院 映像研究科映画専攻 第五期生修了作品展」が5月21日(土)、22日(日)に東京藝術大学 横浜校地 馬車道校舎で行われ、5つの映画が上映された。
 先週の日曜日に観に行ったのだが、何故かというと、そのなかの「MORE」という映画の一部にblanClassで撮影されたシーンがあったからだ。
 blanClassでは+rentというレンタルスペースもやっていて、昨年の夏に横浜の馬車道にある藝大の映画専攻の学生が2組映画撮影を行った。
 今回観にいった「MORE」のロケハンの折、監督の伊藤丈紘さんと製作の牛久保舞さんと少しお話しした。お2人共台湾の映画監督、侯孝賢ホウ・シャオシェン)が好きだと言っていた。
 私も若いころホウ・シャオシェンの青春3部作「冬冬の夏休み(冬冬的假期・1984)、「童年往事−時の流れ」(童年往事・1985)「恋恋風塵」(戀戀風塵・1987)を観て彼の映画にはまっていたので、この「MORE」という映画に興味が湧いた。
 牛久保さんはもう1人フランスの映画監督、アルノー・デプレシャン(Arnaud Desplechin)の名前もあげていたので、気になって「そして僕は恋をする」(Comment je me suis disputé... ・1996)をDVDを借りて観てみた。
 「そして僕は恋をする」は、頭で思索することと、その実践にいたるまでの、日常の脈絡のない出来事とか深くも浅くも関係する人間同士の対話が、結局とても大事なひらめきや後押しになるという、哲学的な仮説としてのノート、としての映像詩になっていると理解した。
 最近、放送大学で放送していた特別講義「映像による文学理解〜マラルメとの対話から」(柏倉康夫)で引用していた、エリック・ロメールの「マラルメとの対話から」(1968)を観たのだが、その短編映画は、ロメールが記述されることで実践されてきた哲学的な考察の映像化への挑戦であり実験的な小品だった。
 ロメールのその後の映画のバックボーンに、口頭で語られていたはずの「哲学」、「詩学」を映像化することの可能性があったことを知り、「なるほど」と独り合点した。
 もちろんロメールにしても、デプレシャンにしても、文学の翻訳としての映画が結論ではないだろう。それらは、映画という形式の自己批判を自らの映画、1つ1つの映画が機能するための手段であり、また他方、物語として整理されているわけではない、現実のバラバラなことごとや、脳内で混乱錯乱しながら渦巻いている妄想や認識やイメージへの対処法としての論法なのだろう。
 もうひとつ気がついたのは、映画という形式が「恋」の描写に特別優れているのはなぜだろう? ということ。アジア映画の幼い仄かな恋とか、逆に過度の湿気を帯びた情念としての恋とか、フランス映画の妙に雑だったり、理屈っぽく見える恋だったりと…。
 彫刻は恋を描けたろうか? キューピッドとかエロスにちょっとした浮遊する軽やかさを表現して、そんな予兆みたいなことはできたかもしれない。絵画にしても恋文を読むとか、憂鬱のなかに予感させる程度だったかもしれない。あるいはSEXだってあっけらかんと表現してしまってはいなかったろうか? 写真にいたっては、恋をすっとばして、もう少し猥雑な方がうんと得意な形式に見える。
 「MORE」は、映画が元々持っているポテンシャルに誠実に向かい合っている作品だった。だから特別に映画の上になにか別の技術を張り込んだりはしていない。撮り口に日本やアジアの映画を持ち、ストラクチャーにフランスの映像詩を抱えていると言ったら良いか? 編集の軽妙さも気に入ったし、観客を退屈させない上手さも持っている。その上「MORE」は、とてもポジティブな映画だった。恋する男女が抱える苦悩を描きつつ、多少理屈っぽくしゃべる男女は、もう少し未来を見ている。上であげた映画に加えて、今村昌平の「豚と軍艦」(1961)や「若者たち」(監督: 森川時久・1967.)の現代版と言っても過言でない。この監督の処女作としては申し分のない作品だと言っていいのではないだろうか。きっとこの後に彼が撮るであろう映画の全てが写っているのだろうと思った。
 さて、blanClassは、小説家、高橋青滋の自宅兼仕事場として登場している。私は不覚にも最初に写し出された本棚の背表紙に無意識に飲み込まれて、今まで味わったことのない違和感を感じてしまった。映画のなかによく知っている場所が写っているというのはこういう感じなのか…と、高橋青滋が出てくる度にソワソワしてしまった。この映画は全体に横浜の良く知る風景が出てくるものだから、内容とは別に頭のなかが混乱してしまった。林海象の「我が人生最悪の時」(私立探偵濱マイクシリーズ・1994)を黄金町にあった日劇で観ていたら、映画のなかで濱マイクがその日劇に入っていき、映写室の隣に設けた事務所に入っていくというシーンを観ながら、後ろを振り向くと「濱マイク探偵事務所」と書いてあった…とき以来の変な感じだった。そういえばその映画のラストが黄金町の街の土砂降りのシーンだったのだが、映画館を出たら、入ったときには晴れていたはずが、雨降りに空模様が変わっていてビックリしたのを思い出す。
 映画「MORE」は7月にユーロスペースでの上映が決まっているそうです。詳細がわかったら、またコラムにも書く予定です。


こばやしはるお




映画「MORE」

113分/HD/16:9/ステレオ/カラー

ユリとモエコとアイは高校時代からの親友である。20代も終わりに近づくなか、彼女たちはそれぞれ違う環境で生活しながらも、今までと変わらぬ関係と世界を生きてきたつもり、だった。そんな彼女たちの人生に襲いかかる幾つかの出来事とちょっとした災難。恋愛と裏切り、過去と後悔、そして一冊の本とその秘密。出逢いと別れを繰り返し、混ざりあう時間のなかで、わたしの知らない物語に迷い込む女たち。砕けちった人生=物語は、いつしか様々な声によって語られ、重なり、ゆっくりとそのページが捲られようとしていた…。都市の片隅に暮らす男女が織りなす、切実さと可笑しさが寄り添う、ちいさな冒険にも似た人間模様。

監督・脚本 伊藤丈紘 製作 牛久保舞 撮影 下川龍一 美術 飯森則裕/郄井良崇 録音 渡辺一輝 編集 石井沙貴 助監督 後閑広/眞田康平 音楽 池田雄一 出演 小深山菜美/ 奥田恵梨華三村恭代/岩瀬亮/足立智充/河井青葉/斉藤陽一郎

伊藤丈紘 Takehiro Itô
1984宮城県仙台市出身。2009年、横浜国立大学大学院環境情報学府修了。同年、東京藝大大学院映像研究科入学。主な監督作品に『冷たい肌』(06)、『ADIEU』(07)、『あかるい娘たち』(08)、『ロードサイドストーリーの幻影』(09)、『how insensitive』(09)、『ZERO NOIR』(10)。