眞島竜男:鵠沼相撲|京都ボクシング 1

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 +columnに公開インタビューを載せていくことにしました。まずは、2010年1月16日(土)+nightでのパフォーマンス、眞島竜男「鵠沼相撲・京都ボクシング」後に公開で行われたインタビュー全文を4回にわけて掲載します。ただし読みやすいよう、内容が損なわれない程度に加筆編集を加えてあります。



劉生日記


小林晴夫:blanClassの小林晴夫です。これから恒例の公開インタビューを始めたいと思います。20分くらいのインタビューになると思いますが、もうちょっとしたらパスタが茹であがるので、お腹がまだすいている人がいれば、出たり入ったりして構わないので飲んだり食べたりしながらお聞きください。あらためて紹介します。本日の+nightのゲスト、眞島竜男さんです。(拍手)
 今晩の演目は「鵠沼相撲・京都ボクシング」というタイトルで実在の岸田劉生の日記をもとに脚色という理解でよろしいでしょうか?

眞島竜男:皆さんもご存知のとおり、岸田劉生は日本で一番有名な近代画家の一人だと思います。『岸田劉生全集』(全10巻・岸田劉生岩波書店・1979-1980)の、これくらい(指で3-4cmを作りながら)の厚さで四冊分ぐらい(正確には、第5-10巻/日記1-6の計6冊)、「劉生日記」と呼ばれているものがあります。その日記には、その日その日にあったことが、挿絵というかイラストみたいなものが添えられて、6年ぐらいかな?年によって少なかったりするんですが、ほぼ毎日書かれています。日記をそれだけ長い間書き続けた画家というのはかなり珍しいこともあって、岸田劉生というとこの日記の話が必ず出てくるんです。
 今回私が日記という形で朗読したのは、1919年(大正8年)と1929年(大正18年)、1919年が1月1日〜20日鵠沼相撲)で、間に10年挟んで1929年が8月1日〜20日(京都ボクシング)の20日ずつ、実は劉生が日記を残していない時期のものですが、その時期に劉生が書き得た内容をある程度踏まえて私が書いた(創作した)文章です。それを今日朗読しました。

小林:実際の劉生日記は何年から何年までですか?

眞島:えっと、ですから1920年〜27年かな? 京都に転居して途中で止めているので6年ぐらいだと思います。

※正確には1920年〜1925年の5年半ほど、大正9年元旦「今日より余は30歳となる、新しき心地幾らかする」とはじまり、大正14年7月9日まで1日も休まず克明に日記をつけた。
小林:今日朗読した日記の文体は「劉生日記」っぽく書いたんですか?

眞島:結構意識して書いてはいるんですが、朗読を聞いただけである程度内容が分かるようにしてあります。ちょっと説明が多くなっているし、文体もそんなに古い文体で書くと分かりにくいので、大半は砕けた現代口語的な形にしてあります。特に前半と後半で10年間のブランクがあるので、その間の部分を聞いてる人が何となく頭に思い描けるような感じにしたつもりです。



木村君


小林:神戸の方(京都ボクシング)は、木村君の喋り(台詞)が出てくるなど、鵠沼の方(鵠沼相撲)の淡々とした記述から変化していますが、意識的に変化をつけてるの?

眞島:のっぺりとした前半を作った上で、後半にちょっとズレたところを入れていくというのは作劇上のクリシェだと思います。そういう流れで、直接的な会話もちょっと入ってくるんですね。劉生が京都でボクシングを観に行ったかどうかは分かりませんが、ボクシングのイメージに作品を引き寄せていくために、木村君という実在の人(日本画家で、劉生が京都で暮らした時の悪友というか遊び友達)を置いたわけです。

小林:クライマックスがボクシング。

眞島:クライマックスはボクシングです。そこの部分はかなり具体的な記述になっているし、1日あたりの文字量も一番多くて、たぶん他の日の4倍か5倍あると思います。他の日も同じくらい長く書いてもいいんですが、そうすると全体がどんどん長くなってしまうし、逆に全部で10日だとちょっとシンプル過ぎて、1日あたりの情報量や役割が大きくなり過ぎてしまう。それで、全体で2週間は欲しいなぁと思って、最終的に前半後半それぞれ20日ずつ、合わせて40日間になりました。その中で、やっぱりボクシングのシーンがクライマックスになりますね。



鴨居猫


小林:木村君がね、登場して、京都へ行こうというあたりから最後のほうに物語が徐々に盛りあがっていって、最後はしぼむ猫の夢の話で終わるわけですよね。(笑)あれは例の「鴨居猫」のイメージですよね。

眞島:あの〜…「鴨居猫」っていうのは私が前から持っているモチーフなんですが、作品にしにくかったんですよね。実は「鴨居」っていう言葉は日本家屋の建築用語的にはあまり正しくなくて、それで今回は「長押」という言葉を使っています。敷居があって、その上に鴨居があって、鴨居の前にある飾り板で…よくハンガーを引っかけたりする、あの部分のことですね。そこの凹みに小さい猫がポコっとはまっている、というイメージが何かいい感じだなぁとずっと思っていて…

※正しくは「長押猫」とすべきだが、「なげし」よりも「かもい」の方が音感がよいため、眞島は「鴨居猫」と呼んでいる。
小林:わかりにくいよ、それは幼いころのイメージですか?

眞島:いや、6年くらい前からかな?

小林:6年くらい前? あれそんなもん?

眞島:あれ? もうちょっと前? でもそんなものじゃない?

小林:眞島君と知り合ったとたんに、なんかそんなことを言っていたような気がする。(笑)

眞島:じゃあ、10年弱くらい前から喋ったりはしているけれど、作品に使ったことがないモチーフです。

小林:プライベートで遊んでいるときなどに、唐突に眞島君の話のなかに出てくる鴨居に住んでる猫がいるんです。なんだろう? ファンタジーというか妄想というか…。

眞島:まぁそうですよね。



劉生の絵


小林:今回の作品には、そのイメージに近いものが出てきて終わる。一種のアンチエンディングみたいな、「夢落ち」っていうのも、今回の作品のもう1つの特徴だったかな? うん。その箇所は特別として、ほかの箇所は完全にフィクションではないんですよね?

眞島:幾つかの人名はフィクションですが、主要な登場人物は実在した人たちです。

小林:劉生が描いてる絵やなんかの描写もありましたね。

眞島:ハッサクの絵は見たことがないけれど、劉生はよく林檎を描いているし、色味の話なんかも出てくるので、その辺は特殊なものを持ってくるのではなくて、劉生の絵を知ってる人なら「あぁ、あんな感じだな」と思えるものを使っています。

小林:日記に出てきた絵というのは「冬瓜」と「集落」の絵、それから「鶏」?

眞島:「麗子の素描」を描いて、それから静物画が「湯のみ」と「林檎」と「ハッサク」。

小林:鵠沼のころはたいがい静物

眞島:そうですね。

小林:肖像を描こうみたいな件はあったけれど、実際描いているのはみんな静物ですね。それらはその時代時代に描いてたような絵と合わせているんですか?

眞島:そうですね、合わせています。鵠沼時代は静物画が多くて、肖像画はその前から描いているけれど、劉生が「麗子像」を始めたのは鵠沼時代ですね。風景画が減っているのは、鵠沼には肺結核の療養で(誤診だったらしいんですが)引っ越してきたので、あまり外に出られないから静物画を描くようになった。

小林:大量に贅沢なものを食べて治したというやつでしょ?

眞島:そういう話もあるし、そこはかなり曖昧で、よく分からないところもありますが...。

つづく


編集責任:小林晴夫(こばやしはるお)/眞島竜男(まじまたつお)

つづきは来週の日曜日に、鵠沼相撲|京都ボクシング 2 を掲載します。おたのしみに。


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