何をそこから学ぶか      多田正美






 西浦の観音祭り(西浦の田楽)を見学しました。
 彼ら能衆と言われる人々の見せる身のこなし方、つなげ方の軽さ柔らかさ、仕上げの完成度が実に見事です。千年以上も同じかも知れないと言うという環境と、変らぬ風景の中で完全に再現されているのかと思うと、人と自然との関わりについて、それは生と死のことなのではないかと思うのです。
 今回で観るのは4回目ですが(今年の祭主を見るのはこれで三代目)、何度観ても新しく感じる、それは何だろう、トータルなものなのです。人も、土も、草も、樹も、山も、観音堂も、火も、水も生きているのです。能衆だけが自由にそれらの間を行き来し、目に見える速さでそれを動かして見せてくれる役をしてくれているように感じるのです。太鼓と笛の音は、現れては消えてしまうことで、つまりは常に時が刻々と新しく生まれ変わることで、「生きている」ということを示してくれていると思う。どうもそれは、あの場がすべてそうなのであって、能衆の烏帽子の左に月が、右に太陽がデザインされて宇宙の天体の巡り合わせの計算までして、これらを美しく仕上げている、最初に現地に入った時に、知識は無いのにそう感じたことを今でも忘れられない。
 リセットしてこれらの祭りを体験すること、学ぶとはそう言うことではないかと思ったりしています。
 祭りは二つの大太鼓が場に、ドンンドドンンドドンンドドンンンのくり返しで入って来て始まります、何でもないようですが良く出来ています。二つの太鼓は微妙に大きさが違っていて、僅かな唸りが発生するようになっている、一つの音のようで一つではないのです、今回の発見です。そして二つの笛と合わせる最初の曲は、やはりどこが最初なのか分かりません。不完全だと言うのが正しいのかどうか、確かに太鼓のドドンが最初なのに、聞いているうちに、笛のピーヒャラが頭に聴こえ、太鼓のドンも最初に聴こえるから、だとするとどちらも無意識に最初がズレています。くり返しの締めが、太鼓と笛の阿吽の呼吸で合わせているように聴こえる。私はこれを28年前の時にも経験し、どうしたことかと(合っていない)、拍で数えていないのは分かるのですが、みな無意識なのかも知れません。不完全で謎です。名人の領域がそこにあったと考えるべきかも知れません。そういうことは良くあることです。祭りを守ろうとする、そうすると残念ながら変わって来てしまうのです。西洋と比べて何が違うのか、どう説明して良いのか簡単ではない。
 良く乾燥した薪が燃やされる、それが横向きであったり、タテに樹の天辺くらいから火がつけられたりで、そのパチパチ鳴る音の響きの心地良さは何と表現したら良いのだろう、寒く時に熱い場所があったりする場は、現地でないと感じられないものです。時代は変わるものであっても、何も変わっていないこと、現地の環境の中で改めて実感します。自由をするとは何でしよう、新しいことをやるということもです。そもそも祭りは観に行くものではなく、どこでもやっている・行うものでした。大阪万博頃から祭りが観に行くものになったような気がしますが、私の地区でも簡単に祭りを執り行うより、経済が優先になってしまった感じがします。誰の為にそれらを毎年くり返ししているのか、見せる為ではないということとは、そもそも何か。トータルとは、堂庭の真っ平らな場があり、観音堂があり、13戸の世襲という形で、能衆がこの芸能を厳密にこの時期に執り行い守り続けている。確かにそこに原点があった。それも半端ではないものです。そこが辺境の地だったからもしれない、しかしどうして、そんな場所に特殊な芸能がもたらされたか、それだけの豊かさを変わりに提供出来たのかもしれない。
 自分の知識を一旦リセットして、眺めてみると分かりやすい。それは芸能とか歴史とかではなく毎回、瞬間即興アート大会なのです。見学者とは記録するとかではなく、それを脳裏に焼き付け消え逝くものを、自分の中に創造し直すのです。音は消えるものであっても「生きている」という感覚で捉えられるものですし、演技のひとつひとつの所作は、代え難い優しさ柔らかさの連続体を造り繋げるものであり、動きは方角に・場に対して曼荼羅のごとく森羅万象の世界を現すものだと、一度思い込んでみるのです。火や暗闇・寒さ温かさは、つまり人の強さ弱さと生命の尊さを示している。その中で人が自在にあろうとする夢かもしれない、観音の力で五十六億七千万年の彼方に、皆が楽しくトリップ出来るようにする装置の上で、技術を伝授された能衆達が皆を浄土に連れて行ってくれると言う、物語の再現かもしれない。
 私たちも、この時代にすべてリセットして、デタラメから始まり観音力を得る為に、日夜修行をし続けているのではないか。それは、毎朝やっている連続一過性のドラマを制作することとは違うのである。


ただまさみ(文・写真)