橋本聡:グループ展『遠く離れて』(リバプール・香港)2

放送室でも話されたリバプールと香港でおこなわれた展覧会『遠く離れて』。そのため橋本は数日前まで香港に滞在していた。『遠く離れて』でおこなわれた橋本の作品についてのキュレーターによる2つ目の文章。先に1つ目の投稿を読んでからこちらを読むことを薦める。
http://d.hatena.ne.jp/blanClass/20120628/1340838646
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「橋本聡『太陽、月、星』」


イギリスの様々な雑誌の広告を集め、複製しリバプールの会場に並べた『太陽、月、星』。
キヨスクに行けばあらゆる類いの雑誌があり、更にその中にあらゆる類いの広告がある。ニューススタンドは現代の百科辞典のようだ。携帯電話、コーヒー、食べ物、フライフィッシング、武器、壺、鳥、猫…なんだってある。雑誌はキヨスクでの収入ではなく広告収入を一番の収入源にしている。雑誌の半分以上を広告ページとするものも稀ではない。つまり、読者が客なのではなく、広告主が客であり、広告ではなく読者が商品であるという逆転。ならば、広告だけが集まったものをつくろうとなった。
雑誌を見る者は通常、広告は眼中になく記事に目を運ぶ。それは人々の生活において、多くの時間は空でのことではなく地でのことに目が向いているという関係と似ている。それで彼は『太陽、月、星』という反転した視点を込めたタイトルをつけたのではないか。
香港とリバプールにて橋本は2つの電話の作品をおこなったが、私は当初、これは電話とは関係ない作品だと思っていた。しかし、実際展示された状態をよく観ていて気付いた。全ての広告に電話番号(または何かしらのアドレス)が掲載されている!絵画やドーロイング、写真作品とあらゆる美術館の作品で電話番号が書かれているものはない。私は広告とアート作品における違いを、イメージにおいて考察していたのだが、何よりもの違いは電話番号(アドレス)であった。広告は読者が連絡を取れるようになっている名刺のようなものなのだ。全てに氏名(商品名、会社名)も載っている。すると、それらの広告は膨大なイメージから膨大な名刺へと姿を変えた(サイズを統一しているのも効果的だ)。
その視点に立つと、隣の部屋に置いてある電話『アートによる電話』は電話を待つのではなく、ここにある大量の宛先に観客が電話をかけるためにあると思えてならない。待てども作家から電話がかかってこない(実は誰もいない夜にかけてくる)が、広告の相手には電話をし、応じてもらうことができる!私は試しに目についた番号にかけてみた。「はい、○○社です」「番号を見つけて電話してみました」「え?」「そちらではどういったことをしているのですか」「○○などを製造、販売しています。どちらで番号を見つけたのでしょうか?」「美術館で」「美術館?」…、観客も監視員も私をいぶかしげに観ていた。
私はこの記事を書きながら、彼が香港で知らぬ相手の電話番号のことを新聞に掲載したことで、読者も電話をかけてしまう事態となったように、この記事によって観客が電話をかけてしまうのでないかと、不安と期待の両方を抱える。
それにしても、どれもとてもシンプルな橋本の3つの作品が、こうも関係をつくり複雑な様相になっていることに驚いた。もしや『太陽、月、星』とはこの3つの作品を表しているのだろうか。太陽:香港で見つけた1つの番号、月:リバプールの美術館に置かれた電話の番号、星:きらびやかに光る沢山の広告の番号。太陽がある時、星は現れない、香港にいる時、リバプールにはいれない。2地点の昼夜の時差、昼に香港から電話してリバプールの夜に鳴る電話は、月が太陽の光を反射することで光るということを象徴するようだ。
サトシ、君は「疑え」と言ったが、私は究明へと至った? それともお門違いになっているだろうか?


2012年6月 パク・フィシュッリ(キュレーター)

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橋本聡『太陽、月、星』2012   オフセット印刷による広告の複製再版797枚、陳列棚(木、ガラス、鉄)38個


はしもとさとし(アーティスト)