ぎおんさくら/岡田貞子

ぎおんさくら   岡田貞子


 今回、“おととことばこ” さんとコラボレーションをしてみて。
今までは、自分自信のパフォーマンス作品に、人に出演してもらったり、歌の部分の作曲をしてもらったことはあったのですが、よく考えると完全に2人のコラボレーションというのは初めてでした。


 “おととことばこ” は、言葉を「音(オト)」にする。なんというか『オトバ』とでも言いたくなるものにする。歌とも違っていて、そこには意味が乗ってこない。
『オトバ』を作るためのテキストは、巧みな言葉遊びの絵本っだったりする。
その『オトバ』を空間(ハコ)に投げ出すことによって、空間の広さや色や温度や時間までを変えて遊んでいるように思う。
だから、そのハコの中に居ると、ここに居るのに居ないような遠景の景色の中にいるような感覚になってボーっとする。
「心ここに在らず」って気分。
落ち着かなくってソワソワするのに、妙に居心地が良い気もする。


 そして、私の作った文章が、“おととことばこ” の「オトバ」の作品になったのは、驚きでした。
“おととことばこ” が「岡田化」したと言ってましたが、“おととことばこ” によってフレーズが組変わったり、メロディになった音(オト)と朗読を合わせるのは一苦労でした。
なぜなら、自分で作った文章なのに、繰り返し聞いても「オトバ」とのタイミングがまるで計れないということが起ったからです。
そこで、私の文章が記憶出来ないと言われる訳と、「音(オト)」を覚える能力が、私には無いとを思い知ることになりました。
結局、私は「オトバ」になった作品を、時間に直して(このフレーズは、何回とか何秒とか)タイミングを計れるようにしました。
そして、やはり、“おととことばこ” は言葉を「音(オト)」化するという作家で、私は言葉を「音(オン)」として扱ってるんだということを再認識しました。
たぶん、“おととことばこ” は、今まで扱ってきたテキストとは違う私の文章を扱うのは、大変だったと思います。
いつもと違う思いもよらない音ができたと 言ってたので、良かったと思いました。
そして、今回は「さくら」という取っ掛かりで 舞台装置も作れたし、妙な空間と時間が作れて面白かったです。
来春、パワーアップしたバージョンが出来ればと思います。


 あと、小林晴夫さんやおととことばこさんの感想や分析を受けて、朗読パフォーマンスでやろうとしてることを 説明しようと思います。
 私は、文章を作るときに、情景に潜む物や事柄の気配を描写しています。
気配とは、そこら辺に醸されてる何かです。
私は、普段、「キレイだな」「カッコいいな」「変だな」「気持ち悪いな」とかというゾワゾワする違和感を、そういう気配を醸してる情景を、まるまる頭の中にインプットするようにしています。
そのインプットした物事を、パーツに分解し観察してから、再び接合するという方法を取ります。
 例えば、今回の「桜」でいうと、桜が咲いているという状況、木の内部の構造、桜が種からどういう過程で花を咲かせて散るかということや、花びらが少し裂けた薄いピンク色である理由などに分け、それらを色や粘性や純度に分けたり、運動能力を測定したり、桜を擬人化して心情を伺ったり、それと関連する情景を合わせてみたりしました。
そうすると、元が何か分からないくらい小さくなったパーツや、一見すると違う物が引っ付いたパーツができます。
その後に、「桜」に戻すために、それぞれのパーツを引っ張り出して、組み替えたり、繰り返したりしながら、どんどん繋ぎ合わせて「桜」を文章にしました。
なので、私なりには脈絡があるのですが、他の人には「文脈が無い」とか「接着がい」とか「記憶出来ない」と言われる文章になるんだと思います。
 そして、朗読の時に音(オン)を揺らすということをします。
具体的に言うと、実際に居る場所とは違う空間を イメージしながら声を出したり、動物の遠吠えのように振動を 遠くまで飛ばすことを意識してみたりします。それから、言葉をカタカナや平仮名ばかりの文章のように、わざと意味が取れない(聞き取れない)ように発声をしたりします。
そうすることで、“おととことばこ” のいう「ことばの意味が浮遊する」という状況を作ります。
だから「いろんなことばの意味が浮遊していくさまを鑑賞したい」というのは、まさにその通りです。


おかだていこ