off-Nibroll(矢内原 美邦・高橋 啓祐) [インスタレーション&トーク]

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off-Nibroll(矢内原 美邦・高橋 啓祐)
[インスタレーショントーク]

トークでは、作品のコンセプトや、身体と映像について、ひいてはoff-Nibrollニブロールのこれまでと、これからについてお話しする予定。
横浜近辺では発表していない作品などを中心に、これまでoff-Nibrollがおこなってきた展示、パフォーマンスの映像や、ビデオ作品の上映もします。
そしてさらに!来場者にはoff-Nibrollの冊子をプレゼント!

日程:11月27日
開場:18:00 開演:19:30
入場料:1,200円 /学生 1,000円

off-Nibroll(矢内原 美邦 Mikuni YANAIHARA・高橋 啓祐 Keisuke TAKAHASHI)
ニブロール振付家矢内原美邦と映像作家・高橋啓祐によるユニット。横浜を拠点に活動。BankArt1929や仙台メディアテイクでの個展を経て、国内外のアートフェスティバルに数多くの作品を出品。08年にはイタリアでも個展をおこな う。パブリックスペースや美術館、ギャラリーなど、場所を問わず、身体と映像の関係性をコンセプトにビデオインスタレーション+パフォーマンスという形式 で作品を制作している。

ニブロールウェブサイト:http://www.nibroll.com
矢内原ブログ:http://mikuni.wordpress.com/

 10月24日と25日、「あいちトリエンナーレ2010」に行った。その2日間で見られる全部を見るため、駆け足の旅だった。初日は前日に矢内原充志くんに電話で予約したNibrollの公演「THIS IS WEATHER NEWS」を見た。
 『電車の時刻表も、明日の天気も、地球の未来も、本当は「あーなったらこーならない」ものなのにね。』というキャッチコピーの通り、「こうなるはずだった」約束された未来がそもそもファンタジーだったという、現在のリアリティーを「in」と「out」とか「on」と「off」とか「yes」と「no」とかみたいに、二義的に分断されてしまう「答え」を行ったり来たりするリピティションが、見ているものの脳内で渦のように混乱していく、そんなNibrollの世界が展開していた。(今年の3月に赤れんがで見た矢内原美邦・演出・振付によるダンスパフォーマンス「あーなったら、こーならない」ついてもコラムを書いている:http://d.hatena.ne.jp/blanClass/20100306/1267829180
 アフタートークではダンス作品(Nibroll)と演劇作品(矢内原矢内原美邦プロジェクト)の制作プロセスの違いなどが語られていたが、私の感想はダンスと演劇の違いは見るものの覚醒の度合いに強く因るところがあると思っている。演劇は見るものを覚醒させる装置で、ダンスはといえば、見るものの麻痺する脳に無意識のようにすべり込んでくるものに思われるのだ。
 終わった後に、高橋啓祐、矢内原美邦の両氏に愛知芸術文化センター蔡明亮ツァイ・ミンリャン)の作品を薦められた。
 その作品は映画館のようにしつらえられたインスタレーションだった。古い映画館の椅子に座って映画を見る。映画は映画館で起こる象徴化された人生が綴られていた。次の日も名古屋市美術館ツァイ・ミンリャンインスタレーションを見た。
 ツァイ・ミンリャンはマレーシア生まれの台湾の映画監督。映画監督の作品がアートトリエンナーレで展示され、その上ずいぶんと印象が深かったことに面白みを感じて、帰ってからすぐツァイ・ミンリャンの「洞」という映画をレンタルした。
 「洞」も面白かった。全く同じ間取りの団地の上下の部屋に住む男女の話。ひょんなことでその床(下の階にとっては天井)に穴があいたことによっていろいろなことが起こる。
 その映画を見て、これは映画館を前提にした映画だと思った。劇場の向こうとこちら側の客席を仕切る映像のインスタレーションだ。もちろん映画はその黎明期からとっくにインスタレーションだったし、そのことを配慮した作品は無数につくられてきた。内容もさることながら、その有り様が劇場芸術としての美術作品なのだ。
 そういうことを、あたり前のように思い出させてくれる映画監督というのはすごいと思った。
 またそういう表現を私に教えてくれた高橋啓祐、矢内原美邦の両氏の活動、off Nibrollの作品にも劇場にはじまって、さまざまなシチュエーションに果敢に挑戦する表現の、その動機のようなところで繋がっているのだなとも感じた。


こばやしはるお