眞島 竜男 [0.2]

今週の+night↓
http://blanclass.com/japanese/


眞島 竜男 [0.2]


0.2秒の間に起こること。世界に1人だけ存在するゾンビ。奥多摩の山中に大量に降り注がれた宇宙人(完全食品としての)。患者の絶対数が決まっている病気(ペプ病)。2度繰り返される演劇。


日程:4月9日(土)
開場:18:00 開始:19:30
一般:1,500円/学生:1,300円


眞島 竜男 Tatsuo Majima
1970年東京都生まれ。1990年〜1993年、Goldsmiths College, University of London在学。1997年〜2000年、スタジオ食堂参加。2000年〜2004年、Bゼミ Learning System専任講師。主な個展に、「北京日記」(TARO NASU/2010年)、「The Incredible Shrinking Pizza」(Hiromi Yoshii/2005年)など。主なグループ展に、「六本木クロッシング2007: 未来への脈動」(森美術館/2007年)、「食と現代美術 Part 2 美食同源」(BankART1929/2006年)、「第6回シャルジャー・インターナショナル・ビエンナーレ」(アラブ首長国連邦/2003年)など。blanClassでは2010年1月に「鵠沼相撲・京都ボクシング」を、7月に「右/左」を発表している。


 
 昨日、眞島竜男作品[0.2]のための映像作品の撮影をblanClassでおこなった。出演は+nightにも出演をしている、飯島剛哉(曽我役)、高橋永二郎(前田役)とblanClassの波多野(田邊役)と私(城所)、それから眞島竜男(山本役)ご本人の5名。
 午後2:30軽く打合わせをして、3:00すぎからリハでもするのかと思っていたら「テーブルの上に台本などは置かないでください」と眞島氏に注意されて、「ああ、一応カメラを回しとくんだ」と合点したものの、なんだかイヤな予感がした。案の定そのまま2時間37分ノンストップのワンショットムービーが撮りおろされてしまった。
 最初の30分ぐらいは、撮り直すんだろうと高を括っていたものだから、内容にも集中できずニヤニヤしていたのだが、演出兼ゲームマスターの眞島氏の凶暴なまでの無茶ぶりと、いつまで続くのだろうという不安で頭のなかはフラフラになって、そのうちありもしない「ペプ病(Persistent Equilibrium Permeation:持続性均衡透過病)」なるものが本当に存在する病気なのではないかと思ってしまった。
 ほかの共演者たちに訴えるような視線を何度となく送って、皆も同じような状態なのではないかと察しつつ、およそ3時間、脳みそを絞り出すように、真剣に「ペプ病」のことを悩んでしまった。
 きっと眞島氏も、最初は途中で何度か止めながら、ベストショットを選んでいこうと考えていたに違いない。きっといろいろと偶然が重なったことで、恐ろしく長いワンショット撮影が実現してしまったのだろう。ビックリするというのは、たいがい瞬間的なアクシデントに遭遇するときの身体におよぶ反応だと思うのだが、私ははじめてジワジワと時間をかけてビックリするという状態に達していく経験を味わってしまった。
 3月26日(土)の+nightで眞島竜男を招いて「公開放送室」をおこなった。近年、blanClassやTARO NASUで発表した眞島作品のbackgroundを探るべく、初期の映像作品を中心に検証するのが狙いのトークショーだったのだが、もうひとつの目的は、昨年7月に+nightでおこなったパフォーマンス「右/左」のように突発的に表れる、これまでのどの作品とも傾向がずれている作品が何なのか? どうやって展開しているのか? を考えるきっかけをつくりたいと思っていた。
 彼にインタビューをすると必ず、頭のなかの「イメージ」について話をしてくれる。それらは「もの」として簡単に示すことのできるイメージであったり、文脈のなかにしか見いだすことができないイメージであったりすると言う。そのために眞島作品はこれまで多様な形式でアウトプットされてきたのだ。
 頭のなかでは納得するもののよくよく考えるとどうなっているかよくわからない「イメージ」を、いかにして作品に翻訳するか? それはどんなことでもわからないことが見つかるとするようなリサーチすればいい。たとえば眞島の一連の日本近代美術もので、日記や文献を自身の身体を使って「トレース」していく手法によく表れている。そして一旦作品としてトレースされ、既存となった問題が、半ば自然に別の作品にスライドしていく。というのが眞島竜男作品の展開なのだろう
 今回の映像作品のモチーフになっている架空の病気「ペプ病」にしても同じことなのだ。現実に存在しないものでも調べ上げることは、本気になりさえすれば、それほど難しいことではないのかもしれない。
 浮かび上がることは虚構に添えられた技術的なリアリティーだけではない。私たちは眞島竜男の作品から空恐ろしい現実そのものを見つけてしまうのだ。


こばやしはるお