池宮中夫ソロダンス [Fußtritt|足どりみどり]

 今週の+nightは、池宮中夫ソロダンス。昨年7月以来2度目の登場!!
 池宮氏は「踊るだけでは表現にならない、そこに場を立ち上げることが表現」と言う。blanClassに、場をつくるところから1週間かけて、土曜日の本番までに作品をつくりあげてゆく。
 彼は若い頃、絵を描き発表をしていた。そのころの絵を私は観たことがないのだが、チョコレートを塗った梯子のインスタレーションの話しなどは聞いている。昨日、池宮氏とお話しをしていたら、その絵を描いている頃の話しになった。絵を描いていたら絵を描く自分の手が気になってしまったというのだ。そのうち自分の手や身体だけでなく、他人の手や身体が気になってきたのだそうだ。
 それがダンスをするきっかけ。幼少の頃より身のまわりに舞踏家がいる環境に育った池宮氏だから、そのことも深く関係しているのだろうが、聞いてみると、幼い頃は、舞踏家を見るのが怖くって、あまり直視できなかった。怖いから見ないように、一人でこっそり絵を描きはじめたのだそうだ。
 「でも、垣間見てたんだろうな。」と、池宮氏。
 来週末にBrick-oneで公演する作品のために、3枚の絵を描いているのだそうだが、同時並行で、昨日からblanClassで[Fußtritt|足どりみどり]の準備を、たったいまもしている。
 昨年7月のblanClassでのソロダンス、今年1月のBrick-oneでのソロダンスを観て、池宮中夫はまた絵を描きはじめていると、直感した。幼い頃の素直な表現としての絵からはじまって、絵画という様式や美術という制度と格闘する最中、単純に絵を描く身体に魅せられ、身体表現に目覚め、絵の外に跳びだしっていった池宮は一巡りして、また絵を描いている。池宮が「場」と呼ぶそれは、1枚の画用紙のなかと似ているような気がするのだ。彼が発見した絵を描く身体が、浅くて広い紙やキャンバスのような場を設えて、そのなかに入って、絵を描く。それが現在の彼の表現なのではないだろうか?
 池宮中夫は不思議な文章? を書く。前回7月のソロダンスのときは、こんな言葉が添えられた。


Wüstー我々の巨大な僻地


體ふゆらル、雨手のおか小さな山、ひくいステップ、掌。
じゃあメシでも、時はワケあって、ひら、向こう、とぼした手は篠突く雨
耳に当てる手、待つ手、折り畳む手、置かれている手、猟場。
ページを開くと露天。
引きあける手、不凍の手、打ち明ける手、そと縁(べり)。


今回の[Fußtritt|足どりみどり]にも言葉が添えられている。正直、詩だと思って読むと、意味がわからない。古い和歌を声を出して読んでみたら、急に色づき始めるなんてことがあるが、池宮の言葉を描かれた絵だと思うと合点がつく。その言葉を絵のように丁寧に観るのと同じように[Fußtritt|足どりみどり]も観ようと思う。


こばやしはるお


今週の+night↓
http://blanclass.com/japanese/


池宮中夫ソロダン
[Fußtritt|足どりみどり]


日程:11月26日(土)
開場18:00 開演19:30
一般:2,000円/学生:1,500円


足どりみどり


歩かなかった
棲息
しなみ
言葉 が突き動かされて奮え
口を吐いて ゆらす足揺らめく


夕映えの欠けたグレーを繙き
張りわたした身体


接吻
グリーン の足跡 歩調映える


答える 応じる 足音溢れ出て 残 り 止メル
葉っぱをはやす言語に成る
あしつき はどこまでもやさしい


明日という過去や現在を、まだ来て いない未来を
無方向の中で
フーストュリットな がれる




池宮 中夫 Nakao IKEMIYA
1959年東京都生まれ。1989年旧西ドイツにて多くの舞踊作家に学び、欧州各地、韓国等でソロ活動。1992年よりノマド〜sの演出・振付。空間性の強い作品を特徴とし、劇場のみならず美術館や倉庫でも上演。1997年〜2002年Bゼミパフォーマンス演習専任講師。ワークショップは、目黒区美術館、ケウォン美大(ソウル)、長崎県美術館、武蔵野美大、東京藝大など。現在多摩美大非常勤講師。