唐子浜海岸

 まだ車の免許も持っていないころ、いく度か国内を一人旅した。手持ちのお金で行ける範囲を「みどりの窓口」とかで検討して、なんの予約もしないで出発する。宿は辿り着いた駅の旅行案内所で、これまた予算を言って探してもらう。そのほうが旅行ガイドなんかに載っている情報より豊富で安く宿が見つかり、飛込みのように嫌がられる心配もない。紹介してもらった宿には、埋まらなかった温泉旅館を格安にとか、漁師専用の宿泊施設とか、従業員用の部屋を空けてもらったなんてのもあった。
 国内一人旅を始めたきっかけは、アメリカの遊学3年のあいだに旅づいたせいもあるが、帰国の飛行機のなかで夢をみたせいだ。渡米前にやった企画「演劇宣言」の音楽をしてくれた大沢栄一くんが今治に帰郷したと風の便りに聞いていた。そのことがずっと頭の隅にあった。
 夢は子供ころによく行った日野の原っぱによく似た風景で始まった。背丈ほどの雑木雑草を掻きわけて坂を下っていくと、少しひらけたところに出る。そこにトレーラーハウスがあった。ドアをノックすると大沢くんは出てきた。大沢くんは汚れの染みついた白いランニング姿で、私を歓迎してくれた。そして大沢くんの風貌や室内の雰囲気には不釣合なほど繊細なアンティークのティーセットで、おいしいレモンティーをご馳走してくれた。
 飛行機のなかで目が覚めると「帰ったらその足で今治に行かなきゃ」と本気で考えた。実際には、それから3ヶ月後の8月の終わりに高速バスで今治に行った。
 大沢くんは夢のときと同じように歓迎してくれた。週末をそこで過ごし、平日は大沢くんが仕事ということもあり、愛媛県を1週間ほどかけてまわった。それからまた今治に戻ったのだが、大沢家に直接向かわず、いったん唐子浜海岸に寄った。どうしても海水浴をしたかったからだ。
 唐子浜海岸は赤い灯台がある風景で有名なスポット。ところが海水浴場に人っ子一人いない。通りすがりの漁師に「くらげですか?」と尋ねると、「鮫だよ」と言う。そういえば、いく先々で「サメ注意!」の看板を見た。「鮫が出るんですか?」と私。「みんな怖がってるけど出やしないよ」と漁師。「泳げませんかね」と私。「泳げるよ」と漁師。
 砂浜に降りると海の家らしきものの痕跡すらないのに、スピーカーからハワイアンが流れている。遠くにおじいちゃんが一人だけ、イーゼルを立てて油絵を描いている。寂しすぎる。一人では到底間がもたない。私は防水の時計を見つつ15分だけは頑張って泳ぐことにした。
 海から上がるがる前に、少し沖に出ておじいちゃんの向こう側まで泳いでいってから、おじいちゃんの背後からゆっくり近づいていった。どうにも絵が見たかった。50号ぐらいあっただろか? 割に大きな画面に唐子浜が写しとられていた。絵のなかは芋の子を洗うほどの海水浴客がひしめき合っていた。

小林晴夫