冨井 大裕 [can work, hand work, other work]

今週の+night↓
http://blanclass.com/_night/archives/2976

2010年10月2日(土)
冨井 大裕 [can work, hand work, other work]
開場:18:00 開演:19:30
入場料;1,200円/学生:1,000円

最近、自分以外の人に素材を提供してもらい、その上、作品まで作って貰うことをしました。やってみて、とても面白かったので、またやることにしました。「いつ、どこから作品は作品になるのか」その辺のことを考えて作った作品です。新作もできることなら試してみたいと思っています。


 今週の+nightは、冨井大裕が初登場!!
 今年冨井が参加したアサヒアートスクエアでのパフォーマンスイベント「気象と終身」に出品した、空き缶と手を使った立体作品を参加者に実際に作ってもらうことで成立する展示をします。
 冨井大裕の仕事は、ある機能や意図に添った規格で生産される工業製品や素材の、その特性を見定めつつ、組み合わせ組み立てられた冨井の彫刻作品は、一見してポップな印象だったり、アイロニカルな印象をあたえる。
 しかし今年の5月に「作品展」(NADiff a/p/a/r/t 店内・東京)を見て、またいろいろ考えてしまった。付せん(POST ITだと思う)でつくられた彫刻らしき小さな作品が、店内の本棚の角や隙間など所々に設置してあるというものなだったのだが、「作品」と言い切ってしまうより、絵画で言うところの「ドローイング=デッサン」に近いものものだった。
 実はその日は、写真学校の学生たちと「彫刻ってなんだろう?」というテーマでのギャラリーまわりで、その展覧会が最初の一軒だった。学生のなん人かは、なにを見ていいのかわからず、店内の写真集をめくったりしてしまう。しょうがないので、いったん店を出て一通り説明したうえで、もう一度「作品」を見てもらうことにした。学生たちには「作家が付せんを使ってなにをしているか、気になることを、ばかばかしいことでもちゃんと見てください」と言って、後で指摘してもらうことにした。
 指摘されたのは「まるめていた」とか「いろんな色の付せんを使っていた」とか「くっつけていた」とか他愛のないものばかりだったのだが、それは私が美術作品を眺めるいつもの視線とさほど変わらないものばかりでもあった。
 ようするに「彫刻ってなんだろう?」というテーマを考えるのにもってこいの展覧会だったのだ。概して「作品」化されてしまったものは、その「作品」の精度のなかに作家の思考が埋没してしまっていることが少なくない。
 冨井が最近、他者の考えや仕種を自分の仕事に取り入れようとしている、いくつかの試みも、きっと作家と作品の間に横たわっている問題への1つのアプローチなのだろう。その「演習のような」姿勢はおおいに興味をそそる。


こばやしはるお