いきなりお邪魔いたします、鮫島さやかともうします。12月17日(土)鷹野隆大 × 秦雅則「写真か?」を企画・発案したものです。普段は、某アート系出版社兼ギャラリーにて働いております。(夏に会社ごと京都に引っ越しました)今回の展示&イベントについて、すこし私からお話しさせていただきますね。
【鷹野さんと私】
鷹野さんの写真は、2002年に通っていた写真の専門の授業で作品を見たのがきっかけです。小太りのおっちゃんが横たわる、お世辞にも美しいとは言えない裸の写真でした。そして、よくよく覚えているのは、木村伊兵衛賞受賞時のアサヒカメラの「受賞のことば」です。受賞に際しての抱負ではなく、ずっと昔に自分を支えてくれた一人の人への、ざっくり略すと「あなたのおかげでここに来れたよ、ありがとう」といった内容の個人的なメッセージで、写真とそれにまつわるすべてへの愛情にあふれていました。
【秦さんと私】
私が仕事で展覧会のPR文を書いていたのですが、「PR文って、それっぽくまとまってるけど、今イチ作家自身のキモチがよくわからん、そもそも作家さんは自分自身でどんな言葉で作品について語っているんだろう」といろいろ調べていたときに、秦さんの「写真新世紀」のインタビューを読み、この人に会いたい、と思い、秦雅則さんらが運営していた「企画ギャラリー・明るい部屋」で開催していた2009年4月の個展を見に行って、すっかりその世界に引き込まれてしまったのが初めての出会いです。
【今回の展示&イベントに関して】
鷹野さんと私は、「発科展 ー早稲田大学芸術学校空間映像科 閉科展ー」の実行委員でした。鷹野さんが同校の講師、私が卒業生でした。(入れ替わりだったので教わってはいませんが)早稲田大学芸術学校の私の卒業した「空間映像科」という学科が無くなるので、最後に卒業生・在校生・教師みんなで展示をしよう!という、企画でした。(2011年3月に開催予定が震災で延期となり、7月に横浜・竜宮美術旅館で開催となりました)
去年の9月、卒業生からの参加者があまり集まらなかったときに、鷹野さんと二人で恵比寿の駅の構内で立ち話を小一時間ほどしました。私が「参加者は、やる気のある人だけの少数精鋭でもいいのでは」と言ったのに対し、鷹野さんが「学科最後のお祭りなんだし、できるだけ人数を集めよう」とおっしゃいました。(その際動くのは私たちなので)「う〜ん、どうだろう」と思ったときに、ふと、「企画ギャラリー・明るい部屋」のワークショップと、ワークショップ参加者の展示を思い出しました。
明るい部屋では、写真をやりたい&好きな人たちへのワークショップを半年ごとに開いていて、毎月いろいろやって、最終週に展示を開催したりポートフォリオを完成&発表したりしていたのですが、私はそれがとても興味深かったのです。人間、誰しもいいところばかりを見て、いいところばっかりを見せようとするのですが、明るい部屋では、まだ形にすらなってない写真もちゃんと場所を作っていて、「これも写真なんだよ」と世に発表しているように、私には見えました。(それはアートフェアなどで、各ギャラリーが売れる作家の作品を持って行くのとは、極めて対照的とも言えます。)
「美しいところも、みっともないところも、すべて今現在の写真」と明るい部屋に教えられた私は、「発科展」の参加者をもっと呼びかけることにしました。(おかげで仕事量は増えましたが。。。)
鷹野さんも、秦さんも、いいものもわるいものもすべて受け止めていて、それをぜんぶ世に出すことで、写真(もしくは表現)の可能性を誰かに広く呼びかけている、と肌で感じたのが、今回の展示&イベントのきっかけです。この二人から生まれるものは、どこに向かうかわからないけれど、「写真」のものすごく本質的な何かをひもといてくれるのではないか。そう思います。
そして、ステートメントでも少し述べましたが、お二人とも、写真を「自分にとっての写真」だけではなく、「(現代)社会にとっての写真」が何かを、探し求め、なおかつ社会に発信している方だと思います。以前ですとプロヴォークなどもありましたが、近年だと鷹野さんの分離派、秦さんらの明るい部屋があり、写真とは何か、という答えのない問いを持っているお二人でもある気がします。
写真は、自分と他者の境界線を曖昧にするメディアだと思います。鷹野さんと秦さんの境界線をたどることは、過渡期とも言われるいまの写真にとって、何か価値のあることではないでしょうか。
私はそう思えてなりません、あなたはどう思うのでしょう?
とても知りたいです。
当日、blanClass +night でお会いできることを楽しみにしています。
さめしまさやか(企画・発案)