「闇の中で、火を囲め。」〜明日のヤミナベに向けて〜

さて、ヤミナベについてのコラムでも書こうかなっと思って、共同で借りてる作業場というかスペースにやって来たわけだが、執筆する気満々な気分とは裏腹に、玄関を開けて廊下を抜け、自分のスペースに入る手前で、同じ家屋で別のスペースを運営してる大学院生が鍋をしてるではないか。しかも豆乳鍋だ。数日前まで札幌に滞在してただけあって、茨城の寒さもまだまだだなあ、なんて感覚の一方で、室内の作りは茨城の方が数段寒い現実に向き合い始めた昨今としては、冷えきった部屋の手前で温かい鍋、というのは甘美な誘惑であり、もちろんおいしくいただいてからこのコラムを書き始めたわけだ。
と、ここまで書いたところで、どうやらうどんができたようなので、ちょっとこの場をまた離れてみる。
豆乳鍋のスープに出汁と醤油で煮込んだうどんはおいしかった。
4人で鍋を囲んでたんだけど、二人の大学院生は初対面でだらだらと話していたんだけど、どうやら二人ともずっと以前にちょっとだけ会ったことがあるらしいということが判明した。一人は、五年くらい前にとあるイベントに同じ時に参加していたらしく、僕は会場に遅れてやって来て、片手にソフトクリームを持ちながら、遅れて来たのにおいしそうにソフトクリームを食べている姿が妙に印象的だったらしい。しかも冬。全然記憶になさ過ぎておかしかった。もう一人は三年前の大阪でのプロジェクトにたまたま来ていたらしく、僕らのワークショップにちょこっと参加していたらしい。そのとき僕は着ぐるみを着ていたようで、夏の大阪で見かけた着ぐるみの人が、三年後の茨城の寂れた民家で鍋を一緒に囲んでる情景が結びつくまでしばし時間がかかったようで、記憶の糸みたいのがたぐり寄せられるような会話の連なりが心地よかった。
ヤミナベのこととか書こうかなと思ってたはずなんだけど、ハタノくんがちゃんとしたコラムを書いてくれてたし、僕自身のヤミナベのエピソードみたいのはイベントの紹介文みたいなので大方書いてしまったので、まあ、いいかな、という気分になってきてしまった。
おぼろげな記憶の断片を挙げるとすると、以前テキストでは予備校時代と書いてたけど、よく考えると高校三年のときだったかもしれない。ちくわの穴にチョコポッキーを通したやつがホントにマズかったなあ、とか。一緒に鍋をしてた女の子が今では料理研究家みたいなのになってるんだけど、あの鍋のことは記憶の奥底に封印してるだろうなあってこととか。まあ、たいしたことではないんですが、楽しい夜になるといいですね。みなさまお待ちしております。

中崎 透