blanClass+portfolio 2012

 art & river bank 「depositors meeting 10」に、今年もポートフォリオを出展した。これが4回目だから、年末の恒例行事になった。また1年が経ったということだ。今回も今年を振り返って文章を書いた。年末に、いろいろなところにおよばれして、blanClassのことを振り返ったので、昨年同様、3つぐらいの仕事を1回で済ませようと企んだのだが、今年は上手くいかず、art & river bankへのポートフォリオ提出〆切日の12月22日に、波多野くんに待ってもらって、午前11時までかかってようやく書き上げたという、グニャグニャの力作である。


 まず今年の1月、毎週土曜日に行ってきたワンナイトイベント+公開インタビューのイベント名「+night」をやめた。そのかわりにblanClassの下に「Live Art & Archive」と入れた。スタッフの波多野くんは「Live Art」とは、土曜日のイベント名だと思っているに違いない。でも本当は、blanClassに訪れたアーティストたちが、起こしたパフォーマンスとは言い切れないような数々の現象を言い当てたいと思って、無理くり捻りだしたことば。パフォーマンスと言っても間違いでなないだろうが、ジャンルやカテゴリーに括ってしまうのは、ちょっともったいないと思ったのが本音なのだ。  とはいえ、毎週送っているメールニュースなどでも「今週のLive Art」と書いているから、波多野くん一人が勘違いしているわけではない。私も一緒に勘違いを続けているし、ことさら訂正する気もない。ただ、blanClassのイベント名は個別に際立つ必要はあまり感じていないので、「blanClass」が施設名で、グループ名で、イベント名だと思ってもらいたいのだ。「Live Art & Archive」というのは、blanClassの仕事の総体として認識してもらえれば良い。直訳すると「生きられた芸術とその記録保管所」といったところだ。結構気に入っている。  もちろん「生アート」でも「生きたアート」でもよいのだが、これまでのアートの変化のなかで、都市化した後の社会の複雑に絡み合っている問題にアプローチするツールとしてのアートを踏まえて「生きられた芸術」と言う方が相応しいと思う。  NOジャンルでゲストを呼んできたblanClassだが、2012年は現代美術をバックグラウンドに持ったアーティスト、それも比較的特定の形式を持たずに活動を展開するアーティストを積極的にお呼びした。  それは、今年のはじめに、ある作家から聞いた「MOT ANNUAL 2012」の企画の方向性を聞いたことにはじまっているのだが、これまでにblanClassで起こった「作品未満」ともいうべき行為の数々と、現代美術界隈でのある種の反応が、どこかで同調してきているかもしれないと感じたからだった。面白いと思ったのと同時に、3年目にして、もはやオリジナルのばではなくなるかもしれない。blanClassでも独自の展開をしなければという危機感を強く感じたのも事実だった。  ふたを開けてみると、「14の夕べ/14 EVENINGS」(2012/8/26―9/8・東京国立近代美術館)や、「MOT ANNUAL 2012. Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる」(2012/10/27―2013/2/3・東京都現代美術館)に参加しているアーティストたちの半分以上が、blanClassの馴染みの作家たちだった。なにか事前に話し合って、連携など計らった方が良いかなどと思案もしたが、それはせず、「14の夕べ」には、橋本聡のコラボレーターとして参加した。また「MOT ANNUAL」の方は展覧会の会期にあわせて、出品作家たち(田中功起、奥村雄樹、佐々瞬、中崎透、山城大督、森田浩彰)をゲストに呼ぶことで、勝手に関連企画なるものを実施することにした。  そういうことで心中ザワザワしていた夏頃、ちょっとしたプレッシャーになったので、5年目あたりにのんびりやろうとしていた「拡張計画」を急遽はじめるためことにした。「拡張計画」といっても、ゼロから考えたのではなく、それまでのゲストとの対話のなかに、土曜日の枠に収まりきらない可能性や予感をした人々というのは、杉田敦、CAMP、眞島竜男、秦雅則、各氏のことだが、7月8月あたりは、彼らやスタッフと話し合いの日々を過ごした。  10月には3周年記念企画として「拡張計画」プレトークを実施、11月から杉田敦「ナノ・スクール」、CAMP「transrations」、真夜中のCAMP、眞島竜男「どうして、そんなにもナショナルなのか?」などのそれぞれ月1回のシリーズを随時スタートしている。  話は変わるが、先日、橋本聡が東京造形大学の教育プログラムCSLABと共同でおこなった「Provisional School 暫定学校」というワークショッップに参加した。どんなにくだらないアイデアでもいいから、これまでにない「学校」のアイデアを2日間で500個出すというもの。20人くらいの参加者が橋本聡の独特な進行に翻弄されながらも、結果的に600強のアイデアを捻出した。私もいくつかのアイデアを発表したのだが、学校が教えるべき内容を考える気が、まったくないことに気がついた。考えたのは、学校を構成する人々の関係に変化をつくり出すような、言ってみればデザインのようなレベルの思考に終始一貫した。たとえば「廊下しかない学校」「全生徒が窓際に座れる学校」「すべての廊下が図書館になっている学校」などなど、よく考えたらないないづくしの学校ばっかりになった。  このないないづくしは、ワークショップに限ったことではない。blanClassにもなんにもない。お金もなければ、設備もない。テーマやコンセプトを考えることもほとんどないし、ゲストとの打ち合わせで、内容のことを話し合った記憶がない。決まりごとはわずかに「ワンナイトで完結することならばどんなことでも構わない」と「お客さんからを入場料とります」の2つだけ。だれでもがつかえる簡単な約束事以外は、できるだけないほうがいいと思っているが、設備がない方が良いと思っているわけではないし、簡単なはずの約束事はゲストたちにとっては、ちょっとしたハードルになっているみたい。  にもかかわらず、blanClassでは毎週面白いことが起こっている。ないないづくしと、いくばくかの約束事をたよりに、幾人かのアーティストたちが勇猛果敢に工夫しながら、このトライアルを楽しんでいるのだ。それは文字通りの実験になっている。たとえば化学の実験室でボコボコいわせながら、課題をひとつひとつクリアーしながら、データを積み重ねていく、あの実験のことだ。私もときには一緒にプレーヤーになりながら、そういう実験にひとつひとつ丁寧につき合っていこうと思う。


こばやしはるお