熊野#4+

 高さは10m以上あるだろうか。「ゴトビキ岩」というご神体が山の上に不自然な形で乗っかっている。(ゴトビキとは、ヒキガエルをあらわす方言)威容に圧倒されながらも、まずはその足下にある社に参拝する。

 寒い。冷たい風が身体からじかに体温を奪っていく。あちこちで一瞬ライターの灯がともり、煙とともに消える。月明かりも照明も無く、人の顔すら判別できない。山の下からは続々と人が登ってくる。最終的には2000人近い男が山頂を埋め尽くした。

 松明を足下の岩に叩き付ける甲高い音が響く。こうすることで点火しやすくなるのだという。入口の方で怒号が聞こえる。門の周辺はこのあとの駆け下り競争に備えてかなり殺気立っている。ここでは松明は武器としても使用されるらしい。かたや、離れたところでそれをのんびりと眺めている人もいる。もちろん自分は後者だ。

 皆が待っているものは同じ、社で起こされる火である。期待と焦燥と、興奮と弛緩と。奇妙な間が山頂にへばりついている。(続く)

みきよしかず

※直近に投稿された波多野康介の写真「熊野#4」と連動しています↓

熊野#3+

 和歌山県新宮市で毎年2月6日に行われる御燈祭(おとうまつり)に、上り子(あがりこ)として参加した。1400年前から伝わるこの祭りは、一年のはじめに神聖な火を熊野の地に迎え入れるものだとされている。本来は一週間前から白米・塩・豆腐・酒・大根の漬物・シラスなど白いものだけを食べるようにしたり、当日朝に海で禊をしたりと、内からも外からも清浄にしてこの祭りに臨むのだが、即席の上り子は、その日の食事を白いものづくしで頂き、気分を新たにして祭りに備えていたのだった。熊野詣の由来と効能を熊野比丘尼(くまのびくに)に説明してもらった後、白装束にわら縄をきりきりと奇数回巻き付け、背後で男結びにしてもらう。わらじを履き、願事を書いた松明(たいまつ)を掲げれば、押しも押されもせぬ上り子の完成である。

 神倉神社にある社2つを含む計5つの神社を御参りしながら神倉山の山頂を目指す。この日の紀勢地方は時折雨が強く降り、雨宿りをしながらの行軍となった。装束が肌に張り付き、白足袋もびしょ濡れになって指先の感覚がなくなってくる。早速弱気になっていると、町のそこかしこから同じいで立ちの(しかしいかにも勇壮な)男たちが現れ、持っている松明を「頼むでー」と声を掛けながらぶつけてくる。エール交換といったところか、そちこちから松明のぶつかり合う乾いた音が聞こえてきて賑やかである。自分も声を出しているうちに気持ちも持ち直し、なんとか上り子としてのプライドを守ることができた。

 いよいよ暗くなって来たところで、神倉山の麓に到着した。入口で待機する機動隊をくぐり抜け、足下がほとんど見えない中、急な石階段を上がっていく。いや、よじ登ると言った方が正確か。源頼朝も随分と大きな石を寄進してくれたものだ。半時間ほどの登攀ののち、鳥居をくぐると少し開けたところに出た。市内の夜景がちらちらとまたたいている。見上げると、目の前に巨大な岩のシルエットが浮かび上がっていた。(続く)

みきよしかず

※直近に投稿された波多野康介の写真「熊野#3」と連動しています↓

白い家、白い街

1週間に2回、しかもわずかな時間しかテレビが見られないので、目を血走らせてガン見していると、偶然飛び込んできたヘーベルハウスのCMにはっとさせられた。住宅の密集する郊外の住宅地を俯瞰しているとその中に一件、真っ白い立方体が挿入されている。カメラが近くに寄るとそこには電線の影が映っている。上面で猫が気持ち良さそうに昼寝をしている。雨の水が壁を打っている。角が空の一部を隠している。

美術館やギャラリーのホワイトキューブが、自らを消去して内包する作品に意識を誘導するのに対して、CMの立方体はむしろ目立ち、積極的に外部と関わりを持つことによって周囲との関わりを浮き彫りにしていく。それは既にあり、日常いくらでも見ることができる類いのものだが、意識の狭間に落ちてしまっていてなかなか気づくことができない。目をリセットして一件の家を見てみると、街が実に雑多かつ膨大な関係の集合体であることまで見えてくる。

同じような感覚を別の場所でも感じた。先日までGallery間で行われていた「311失われた街 展」、被災前の東北の街々を1/500スケールの白模型で再現したものである。もう存在しない街。極めて感傷的な要素を含んでいるにもかかわらず、実際に訪れるのとは違った角度から、冷静に街を眺めることができた。色やテクスチャーまでが再現されていたら逆に気づかないことがあったと思う。高い精度で再現され、同時に程よく省略された描写には十分すぎるほどのリアリティがあった。それはいわゆるリアリズムではなく、モノとモノ、コトとコトの関係性を明らかにするという思想に基づいた明快なものであった。

あの立方体から街を見てみようと歩いているのだが、気づいた時にはなぜかいつも通り、レンズ越しの長方形からばかり見ようとしてしまう。これがサガというものか・・・


みきよしかず

行きつ戻りつ、もしくはその間に

毎年1月になると、どこか落ち着かない心持ちになる。何年経ったっけと数字が頭の中で騒ぎ出す。

17年前の阪神大震災では、幸い家族に怪我はなく、家も倒壊を免れた。しかし辺りには傾いたり倒れた家が何軒もあって、まだ夢の中にいるようだった。何を思ったか、そのような状態で私は、学校に行かなきゃと思い立った。歩きだして2分、中学に近づくに従って異臭が漂い始める。裏門を乗り越えて中に入るとシューっという音と共に何かが吹き出している。ガスだ。給食の調理室から大量のガスが漏れ出して、周囲に立ちこめていた。近所に住んでいる先生が寝間着のような格好でウロウロしていて、なんで来たんや、早よ帰れと怒鳴る。そう言いながらも彼自身、成す術はなく困惑しているようだった。

先生、あなたはなぜあの時、あの場所にいたんですか。

時々流れてくるきな臭い匂いや尋ね人の筆跡、プラスティックのバケツに入った水の重さ。断片的に残るそれらの記憶がバラバラになり、また編集されて私の17年前は存在している。それでも、そこまで悲惨な記憶として認識されないのは、家族や家が無事だったせいもあるし、何よりも自分がその場所にいたからだと思う。毎日の生活を通して、劇的な変化と自分との間にある種のスケールが形成されていた。

間もなく東日本大震災から1年である。あの時ディスプレイの前で呻くしかなかった自分と、太平洋沿岸の大小の街々はあまりに遠かった。(実際は200kmそこらであるのに。)半年は身じろぎもできなかった。秋を過ぎてようやく朗読のボランティアに一度、見るために一度、被災した地域へ赴いた。私は医師でもないしジャーナリストでもない。労働をするつもりもない。責任も大義もない。なんで来たんだと言われるかもしれない。

私にとって必要です、と言うしかない。自分と繋がっていると感じたら人はどこへでも行く。距離感と現地に立った時の感覚が身に付いてきたら、別の行動が生まれるかもしれない。見渡す限り全てが失われた土地で、海と真新しい電柱だけが水平と垂直を成していた。私の中で生まれたばかりの新しいスケールの話である。


みきよしかず

澄 毅 [Light is blank(光の空白)]

 
  私が彼の作りだす光を初めて見たのは、かつて四谷三丁目にあった自主企画ギャラリー・明るい部屋でのことだった。折り鶴を焼き尽くす炎と残った灰の写真は、彼の祖父が原爆に遭遇した事実と、今この時代を生きる私たちの意識を繋げる触媒として存在しているように思えた。

  災禍によって失われた過去、もう触れることができない個人的なルーツ。その空白を埋めるべく彼は写真作品の制作に取り組んできた。私たちの視野が盲点(目の構造上存在する見えない部分)を知らず推測しつつ形成しているように、記憶にも盲点といえる無数の空白があり、それを無意識に埋めながら日々編集している。彼は作品を通して、その心の働きを駆動させる力の源泉に迫ろうとしているように思える。

  昨日からblanClassで行われている澄毅の展示「Light is blank」では、天井からつり下がる無数の穴が空けられた写真を、光に透かして見るというもので、それはちょうど木漏れ日を見るような感覚に近いかも知れない。彼はこれまでも写真に穴を空け、光を通し撮影する試みを行ってきたが、光そのものを体感できる作品は初めてだ。この作品を見て感じるきらめきは、私自身が動くことによって生まれていることに気づく。図像としては空白である部分に何かを能動的に満たそうという心の働きが、光を媒体として明らかにされているのだ。

  最終日12日(土)には8人のダンサーが来場し、それぞれが作品とのコラボレーションを試みる。光に触発された彼女たちがどのような動きを見せるのか。それを見つめるわたしたちとの間で何が発生するのか。もはや予想はつかない。この試みから記憶と呼ばれるものが、意識のなかで過去を思い出すという一方向性のものではなく、今この瞬間にも呼吸をするように発生しているのではないかという彼の問題意識が透けて見える。是非ご来場頂き、ご自身の目で確かめて頂ければと思う。
 
みきよしかず


今週の+night↓
http://blanclass.com/japanese/

澄 毅 [Light is blank(光の空白)]

写真に光を透す。
光が透けた場所に生ずる「空白」。
盲点と同様に、「空白」をうめようとする人の願望や願い。
今回の展示では写真に直接光を透すことで、視覚だけではなく、痛点としてもその空白を感じてほしい。
またダンサーとのコラボレーションを通して発生する「想定外」の魅力を探る。

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展示:2011年11月7日(月)〜11月12日(土) 12:00〜19:00 (土曜日は18:00まで) 入場無料
ダンスパフォーマンス&トーク:11月12日(土) 18:00開場 19:00開演・一般¥1,500 学生 ¥1,300
当日はフードデザイナーのモコメシさんによるお茶菓子も振る舞われます。

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澄 毅 Takeshi SUMI
1981年京都府生まれ。明治大学文学部文学科ドイツ文学専攻卒業。多摩美術大学情報デザイン学科情報芸術コース卒業。主に久保田晃弘教授、三上晴子教授の指導を受ける。
現在、写真を表現のベースに作品を制作している。写真新世紀ひとつぼ展など入賞多数。個展に「メテオ」(企画ギャラリー・明るい部屋)、「光」(Port Gallery T)がある。
http://www.sumi-takeshi.com

新・港村 2011.8.9

ヨコハマトリエンナーレ2011が開幕し、blanClassが参加している新・港村も、8/6に開村式を迎えた。ここは新港ピアという巨大空間の中にアーティストの街を作るというコンセプトでスタートし、現在も個人・団体が継続して建設を続けている。巷からトンテンカンテンと槌音が聞こえるのもまたよいものだ。昨日なかった建物が突然現れていたりして驚かされる。

さてblanClassは、アーカイブの公開(映像・冊子)を軸に、村民を紹介するblanClass放送室、そして杉本智子の”Attribute”シリーズの展示も行っている。

さらに9月からはここでの+night(ワンナイトイベント)が毎週土曜日に始まり、Art English Trainingも開講、アートにまつわるイベントを多面的に企画している。新・港村と相互に関わりながら、祭りとしての村を遊ぶ3ヶ月。横トリ会場とも近いですので、是非体験しに来て下さい。

みきよしかず@新港ピア

暗い部屋が照らし出すもの

このところ彼は写真を撮るとは言わず、作ると言う。
自らシャッターを押さない制作活動を近年行っている写真家・秦雅則が、ブランクラスで[明ルイ部屋以降/超写実写真発表会]を開催している。

話は昨年11月、ここで行われた個展「目が見えない」に遡る。ウェブで集めた人間のパーツを接合させ作った中性的な子どもの写真が、透明なアクリルに挟まれ展示された。ブランクラスという実在の場所にたたずんでいるその子どもには、作家自らの画像も1ピクセルだけ埋め込んであり、自己と他者のハイブリッドなクローンのようにも見えた。

その際にディレクターの小林晴夫が秦の写真を「写実写真」と評した。どういうことかというと、彼の制作の過程は写真がそもそも持っている抽象性(写真には見ていたものの替わりに、見ていなかったものが写っていること)を削ぎ落とし、写真をより彼の捉える現実に近づける行為だと指摘したのだ。秦の今回の作品は、そのことへ対する返球でもあるようだ。具体的には、ブランクラスが選んだ本200冊のリストをもとに作家はグーグルで画像検索をかけ、得たイメージ群を、変形・接合し写真を作った。(モノによってはそのままのイメージのこともある)

ダリをモチーフにした作品がこの記事の下にもあるが、これを初めて見た時、妙な現実感を覚えた。裏返して着てしまったトレーナーの着心地が意外に良かった時のように。

通常、写真を撮る際に意識は自然とその被写体に向かい、定着される。写真にはなにものかが写っているが、それそのものを指しているかと言えば微妙に違う。そもそも私たちの目には、目の前の"それ"を現実にしようという意識があるが、写真には”それ”を現実に似せようという機構がある。二つの作用は似ているようで圧倒的に異なっているがゆえに、写真を見る=写真の上で現実を想起する際にはずれを感じる。この写真特有の感覚が、秦の場合、視線が被写体ではなく、彼自身に向けられているがゆえに転倒する。写真は現実を主張し、目はそれを追認する。

写真が、自らの視覚が、そのままでは現実を全く違うものとして認識させてしまう。彼はその事実に直面し、誰の目に成り代わることなく(自分の目ですらも)写真そのものを現実化する道を選んだ。現在、グーグルに本のタイトルと著者名を入れると、秦の作品がヒットするようになっている。この事実は、写真が無邪気に押し進めてきたリアリズムを超え、リアルにより近づいたことの一端を示しているようでもある。

カメラ・オブスクラから逆に光を照射するように秦は現実を描く。暗い部屋の中にあるはずの光は既になく、彼がそこにいるかどうかは分からない。光は屈折を繰り返して外へ出ているようだが、その軌跡が彼自身と符合している。写真そのものは誰でもない。この当たり前の事実を踏まえた上で、それをなるべく自らに近づけようとする写真家=秦雅則の試行はこれからも続いていくだろう。

今週土曜日の+nightでは彼の写真についてはもちろん、東京・四谷三丁目に存在した「明るい部屋」についても話をしていくつもりだ。運営していた人・展示した人・見に来た人、多くの人間によって存在していた実像を、もう一度立ち上げてみたい。関わった方々にも是非お越し頂きたいと思っている。



みきよしかず