三木義一

認識のボーダーとは?

今週土曜、写真家・菱田雄介氏と写真評論家・飯沢耕太郎氏による対談 [ border / recognition ] が開催される。菱田氏は、これまで世界を巡りながら、歴史の変わり目とも言える出来事に遭遇してきた。そんな中、突然自国で東日本大震災が発生、写真家とテレ…

3.17 鷹野 隆大 × 秦 雅則・展示とトーク vol.2 [写真は?]

電動ぱらぱら2004 シリーズ「電動ぱらぱら2004」より Courtesy of Yumiko Chiba Associates, Zeit-Foto Salon © Ryudai Takano 二〇一二次元・未完成/六八〇人目 シリーズ「二〇一二次元」より © Masanori Hata 2012年3月17日鷹野 隆大 × 秦 雅則 [写真は…

記憶を選ぶ

一年前の今日は金曜日だった。 明るい部屋では最後の展示が行われていた。 夜勤明けで、ビートルズの曲を再生しているところだった あてどもなく続くリフレインと長い揺れが、奇妙にシンクロしていた。 今朝、一年振りに同じ曲を聞いてみた。 再生されたのは…

骨を拾う

もう十年は経つだろうか。母方の祖父が亡くなった時、二通の遺書と一箱の段ボールが遺された。遺書はそれぞれ彼の妻と子供に分配され、段ボールは私に遺された。正確を期せば、捨てられる直前だったそれに何となく親近感を感じ、自ら引き取ったのだ。 (祖父…

石を見ること

渡邊聖子の展示には、写真・テキスト・ガラス・・・様々な要素が反映されている。そうでありながら、必然に満ちたシンプルな空間に見えてしまうから不思議でもある。2010年2月に企画ギャラリー・明るい部屋で発表された「否定」では、石を撮った写真とテキス…

熊野#6+

火は点いた。しかし手放しに喜んでもいられない。這い上がってきたあの階段を今度は降りなくては。雨が降り続いていて、足場は極端に良くない。行列の動くスピードはゆっくりになり、立ち止まるようになり、ついには動かなくなってしまった。動けずにいると…

熊野#5+

寒さと疲労でうつらうつらしていた頃、急に目下の社で火が熾った。熱と光、そして大音声が一瞬で通過していく。山上の上り子がズッと火に引き込まれる。大きな松明に移された御神火は、密集する男たちの間を縫って一度、中腹の社まで降りていく。暗闇が戻っ…

熊野#4+

高さは10m以上あるだろうか。「ゴトビキ岩」というご神体が山の上に不自然な形で乗っかっている。(ゴトビキとは、ヒキガエルをあらわす方言)威容に圧倒されながらも、まずはその足下にある社に参拝する。 寒い。冷たい風が身体からじかに体温を奪っていく…

熊野#3+

和歌山県新宮市で毎年2月6日に行われる御燈祭(おとうまつり)に、上り子(あがりこ)として参加した。1400年前から伝わるこの祭りは、一年のはじめに神聖な火を熊野の地に迎え入れるものだとされている。本来は一週間前から白米・塩・豆腐・酒・大根の漬物…

白い家、白い街

1週間に2回、しかもわずかな時間しかテレビが見られないので、目を血走らせてガン見していると、偶然飛び込んできたヘーベルハウスのCMにはっとさせられた。住宅の密集する郊外の住宅地を俯瞰しているとその中に一件、真っ白い立方体が挿入されている。カメ…

行きつ戻りつ、もしくはその間に

毎年1月になると、どこか落ち着かない心持ちになる。何年経ったっけと数字が頭の中で騒ぎ出す。17年前の阪神大震災では、幸い家族に怪我はなく、家も倒壊を免れた。しかし辺りには傾いたり倒れた家が何軒もあって、まだ夢の中にいるようだった。何を思ったか…

澄 毅 [Light is blank(光の空白)]

私が彼の作りだす光を初めて見たのは、かつて四谷三丁目にあった自主企画ギャラリー・明るい部屋でのことだった。折り鶴を焼き尽くす炎と残った灰の写真は、彼の祖父が原爆に遭遇した事実と、今この時代を生きる私たちの意識を繋げる触媒として存在している…

新・港村 2011.8.9

ヨコハマトリエンナーレ2011が開幕し、blanClassが参加している新・港村も、8/6に開村式を迎えた。ここは新港ピアという巨大空間の中にアーティストの街を作るというコンセプトでスタートし、現在も個人・団体が継続して建設を続けている。巷からトンテンカ…

暗い部屋が照らし出すもの

このところ彼は写真を撮るとは言わず、作ると言う。 自らシャッターを押さない制作活動を近年行っている写真家・秦雅則が、ブランクラスで[明ルイ部屋以降/超写実写真発表会]を開催している。話は昨年11月、ここで行われた個展「目が見えない」に遡る。ウ…