和歌山県新宮市で毎年2月6日に行われる御燈祭(おとうまつり)に、上り子(あがりこ)として参加した。1400年前から伝わるこの祭りは、一年のはじめに神聖な火を熊野の地に迎え入れるものだとされている。本来は一週間前から白米・塩・豆腐・酒・大根の漬物・シラスなど白いものだけを食べるようにしたり、当日朝に海で禊をしたりと、内からも外からも清浄にしてこの祭りに臨むのだが、即席の上り子は、その日の食事を白いものづくしで頂き、気分を新たにして祭りに備えていたのだった。熊野詣の由来と効能を熊野比丘尼(くまのびくに)に説明してもらった後、白装束にわら縄をきりきりと奇数回巻き付け、背後で男結びにしてもらう。わらじを履き、願事を書いた松明(たいまつ)を掲げれば、押しも押されもせぬ上り子の完成である。
神倉神社にある社2つを含む計5つの神社を御参りしながら神倉山の山頂を目指す。この日の紀勢地方は時折雨が強く降り、雨宿りをしながらの行軍となった。装束が肌に張り付き、白足袋もびしょ濡れになって指先の感覚がなくなってくる。早速弱気になっていると、町のそこかしこから同じいで立ちの(しかしいかにも勇壮な)男たちが現れ、持っている松明を「頼むでー」と声を掛けながらぶつけてくる。エール交換といったところか、そちこちから松明のぶつかり合う乾いた音が聞こえてきて賑やかである。自分も声を出しているうちに気持ちも持ち直し、なんとか上り子としてのプライドを守ることができた。
いよいよ暗くなって来たところで、神倉山の麓に到着した。入口で待機する機動隊をくぐり抜け、足下がほとんど見えない中、急な石階段を上がっていく。いや、よじ登ると言った方が正確か。源頼朝も随分と大きな石を寄進してくれたものだ。半時間ほどの登攀ののち、鳥居をくぐると少し開けたところに出た。市内の夜景がちらちらとまたたいている。見上げると、目の前に巨大な岩のシルエットが浮かび上がっていた。(続く)
みきよしかず
※直近に投稿された波多野康介の写真「熊野#3」と連動しています↓