ある一部分のこと

ジョルジョ・モランディの展覧会が東日本大震災のため中止となって、カタログだけが本屋に並んでいる。
ぱらぱらとめくりながら、モランディの絵とルイジ・ギッリのモランディのアトリエを撮った写真を交互にみてみる。
つい先日、本棚から久しぶりにルイジ・ギッリの写真集を抜き出して、見直したばかりだから。

ギッリの写真をはじめて見たとき、(ジャン・ボードリヤール、ルイジ・ギッリ、ウッタ・バース − 消滅のアート パルコギャラリー 1997年)
白い壁に白い額で、白い部屋の白いシーツの写真が掛かっていて、その表面をみていたら、写真もメディウムでできている。と思ったのだった。その上とても眩しい。写真は眩しい。

ギッリはそもそも、写真を写真に撮ったり、ポストカードや地図、壁画、街頭広告を撮ったりしていて、モランディのアトリエの写真も、そこに写っているのはモランディが絵のモチーフにした瓶や壷であるけれど、それを撮ったらモランディの絵を写真に撮ったような感じになるな、いやちがう、モランディの絵のようになるな、書いていて、ちょっと混乱してきたけれど、画家がどのようにどんなところでどんなふうに制作していたのか、ということへの興味を満たすだけのものではないものだと思った。
でも、アトリエとはそういうものを生み出す場所であるから、アトリエを写した写真ということではそうなんだな。

カタログのモランディの絵は写真なので、ギッリの写真と交互に見ていたら、どっちも写真だよ、表面が見えないよ、、とほほ。
モランディの実物とギッリの写真の実物(?)を一緒に観たら、面白かっただろうな。


あべしょうこ