放送室でも話されたリバプールと香港でおこなわれた展覧会『遠く離れて』。そのため橋本は数日前まで香港に滞在していた。
展覧会『遠く離れて』のルール。
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・キュレーターチームは香港をベースに活動し、イギリスに訪れたことがない者たち。会期中はイギリスのみに滞在。
・参加者は一度もイギリスと香港に訪れたことがないアーティスト。会期中に香港に滞在。イギリスには一切訪れない。
・キュレーターチームと参加者は会うことも電話も一切せず、Eメールのみのやりとする。
リバプール現代美術館での展覧会:
・参加者は展覧会の準備、設営、搬入などの為に一切イギリスに訪れることはできない。会期終了までイギリスに入国しないこと。
・そのような条件のもとに何か現地に関わる作品を企画し、キュレーターチームに指示を出し実行させ、美術館内に実現(展示)させること。指示以外は全てキュレーターチームがイギリスで調達。郵送などで何かを送り込むことはできない。
香港全域が対象となりうる展覧会:
・参加者は期間中バラバラに香港を訪れ独自でリサーチし、滞在中に現地に関わることを何か実行すること。キュレーターチームはリバプールでの展覧会を運営しているので、全員香港を不在とする。
・参加者はおこなったものを各自で記事にし、新聞へ掲載。この記事によって読者は、告知されるものやおこなわれた跡へアクセスすることもできる。これをもって1つの展覧会として捉える。
・反響を含めた新聞記事の集積を展覧会のカタログとする。
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『遠く離れて』でおこなわれた橋本の作品についてのキュレーターによる文章。
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「橋本聡『電話によるアート』と『ありふれた番号、知られていない電話』」
橋本は短い期間にも関わらず、リバプール、香港で多くを実現させた。私はその中から2つの電話による作品について話したい。
『電話によるアート』(リバプール):
会場に電話が置かれ「作家から電話が鳴った時に電話に応えられる」との情報のある橋本の作品。私は来場者から「オノ・ヨーコと同じではないか?」と尋ねられるまで、同じ日本出身のオノの作品『テレフォンピース』を知らなかった。橋本を担当するウォルタ・ヴァイスは、それでも展示を見守って欲しいと言う。しかし、一週間経っても電話が鳴るのを聞いた者はいない。私は「たまにはかけてほしい」と橋本にEメールを送ったら、「昼にいつもかけている」とのことだった。私はその文面で気付いた。日本とは時差が9時間(香港でも8時間)あり、誰もいない真夜中の会場で電話が鳴っているのだ。
私ははじめ、彼はこの展覧会のルールである「作家は一切イギリスに訪れず、キュレーターチームともEメール以外のやりとりはしない」を何とか破ろうとしているのだと考えていた。どうやら誰かが電話をとるために会場に泊まり込まない限り、ルールは遂行され続けるようだ。この作品はリバプール一番の有名人の未亡人の作品と同じ形態を示すことにより「リバプールに関わる」という課題に対し、複雑な在り方になっている。さらに彼は香港でのプロジェクトにおいても、未知の相手に電話をかける!
ところで、彼は本当に毎日かけているのだろうか?彼は夜中に誰もいないことを知っているのだから、わざわざかけなくてもよいわけだ。やはり私は確認するために泊まり込むべきかもしれない。(追伸:日本語では「〜による」は「〜に夜」という駄洒落になると翻訳者が教えてくれた。参加者全てが異なる母語というこの展覧会ならではか…)
『ありふれた番号、知られていない電話』(香港):
香港を訪れた橋本は91、91M、92、96Rという4つの系統のバスが停まるバス停を見つけ、この数字の組み合わせが電話番号と似ていることに気づく。彼がそのとおりに電話してみると、男が電話に出た。「バス停で番号を見た」と話す、相手は驚き「何かの宣伝に載っていたのか?」と、「いや、バス停自体にプリントされていた」。彼は英語が不得意ながらも、このおかしな会話を数分続けて録音した。その内容を彼は新聞に掲載。すると、その番号に実際に電話をかけてしまった人たちが現れる。それを聞き、彼はまたその男に電話をかけて謝る。
リバプールに置かれた電話への誰もいないのに続けられた呼び出しは、香港の「ありふれた番号」で実を結ぶ(?)。彼はあてどなくバスを乗り降りしていたそうだ。彼の歩みはそのあてどなさ故にありふれた番号を電話番号へと変換する。バス網は電話の主まで導いたわけだ。キュレーターとも参加者同士とも、さらに鑑賞者にも会うことがない中で、唯一出会った相手。さらに橋本は読者とも出会わないが、電話の主には複数の知らぬ人と出会わせることになった。
ところで「知られていない電話」とはその男の電話だけではなく、私たちが橋本への電話を知らないという2重の意味があるのではないか(それにリバプールの電話番号も)。ここでは「本当にそんなことがあったのか」という確認の衝動へ読者を誘発し、電話をかける行為へと至らせてしまったわけだが、私には彼がその男の人柄のよさを勘定し、誘導を意図しておこなったように思えてならない。あるいは、既にその男に了承をとっていたのか?私はその男へ電話をかける衝動に駆られる。
2012年6月 マリア・シュウン・チュエン(キュレーター)
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・橋本聡『電話によるアート』2012
はしもとさとし(アーティスト)