今週の土日は、一昨年の9月から昨年の9月まで、月イチセッション岸井大輔「アジアで上演する」において、1年にわたって、検討した成果である、戯曲「好きにやることの喜劇(コメディー)」の上演です。
ここ数年、岸井も含めた日本のコンテンポラリーアーティストの中には、土着的な興味と、上演のかたちが組み合わされた表現が多く見られることへの危惧から出発した「アジアで上演する」。
それは戦前戦後において伝統を重んじる文化人の多くが戦争へ向かう体制に加担したのではなかったか? という歴史認識が前提にある。これまで11回、こうした岸井の問いかけを発端に、インタビューや分科会をベースに、何度かの上演も試みながら完成した戯曲。
9月にも上演を果たしたのですが、どう読んでも上演することが不可能と思わせるような内容の、その戯曲に上演を任されたアーティストたちは四苦八苦していました。
今回TPAMショーケースに参加するにあたって、「Live Art」形式を踏まえたバージョンアップ版。演劇の周辺に起こるほとんどの役割、戯曲や作品のうちの外も上演が開かれた状態で示されます。
これまた事件です!!
日曜日の会はまだ余裕がありますので、ぜひご予約を!!
こばやしはるお
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★TPAMショーケース2016参加作品
戯曲「好きにやることの喜劇(コメディー)」上演
http://blanclass.com/japanese/schedule/20160213/
https://www.facebook.com/events/144109672612481/
このイベントはTPAM 国際舞台芸術ミーティング in 横浜 2016(www.tpam.or.jp)に参加するblanClassのアンソロジー、Live Art & Archive Anthology #2 on TPAM Showcase 2016の中で行っています。
劇作家岸井大輔が、blanClassにおける1年間にわたる日本の同世代アーティストへの公開取材を経て制作した戯曲「好きにやることの喜劇(コメディー)」は、あらゆる行為や意思の発現を阻む構造をもったせりふのない指示書であり、上演不能な戯曲です。岸井はそのような作品を制作することで、日本における表現の困難さを作品にしたといいます。
今回、あえて、この上演不能戯曲の上演イヴェントを行います。演出家、ダンス作家、音楽家、美術家が、がこの戯曲をそれぞれ上演し、終演後、出演者によるトークを行います。
ダンス:aokid(aokid city)
インスタレーション:梅津庸一(美術家/パープルーム)
戯曲:岸井大輔(劇作家/PLAYWORKS)
翻訳:岸本佳子(演出家・ドラマトゥルク/多言語劇団「空(utsubo)」主宰)
出演:清水穂奈美(俳優)
演出:萩原雄太(演出家/かもめマシーン)
批評2月13日:平倉圭(芸術理論/アーティスト) 2月14日:クリス グレゴリー(日本現代演劇研究)
絵:藤城嘘(画家・美術家/カオス*ラウンジ)
演奏:米子 匡司(音楽家/SjQ)
日程:2月13日(土)14日(日)19:30〜22:00
会場:blanClass(横浜市南区南太田4丁目12−16 京急線井土ヶ谷駅徒歩5分)
入場料:3,000円(出入り自由)
定員:30名(要予約)
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〈予約方法〉info@blanclass.comに以下の内容でイベント前日までに送信ください。
こちらからの返信を持って予約完了とさせていただきます。なお定員に達した場合などお断りすることもございますので、あらかじめご了承ください。
〈タイトル〉アジアで上演する予約〈本文〉1)日にち 2)氏名 3)住所 4)メールアドレス 5)参加人数
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aokid
1988年東京都生まれ。2010年東京造形大学映画専攻卒業。aokid city 所属。
受賞:2014年第10回グラフィック「1_WALL」ファイナリスト、2011年第5回グラフィック「1_WALL」ファイナリスト、2009
EPSON COLOR IMAGING CONTEST佳作、2008年 EPSON COLOR IMAGING
CONTESTグラフィック部門特選中3よりブレイクダンス始める。映画に突き動かされて、高3の夏に仲間を集めてWATER
BOYSをやる。突き動かされたまま東京造形大学映画専攻へ入学。在学中より絵や写真や文などを自分なりに日常的に取り組むようになり、それをまとめたものなどを外部のコンペに出すなどして作品を発表するようになる。その頃よりダンス、またはパフォーマンス、イベントなどを企画。大学卒業後は東京ELECTROCK
STAIRSなどダンスカンパニーの作品などに参加する一方で、自らの活動を続けている。映画の事を想いながら、よくダンスをしていて、そのうちSKETCH
BOOKを入れたリュックを背負って街から街へ今日も歩くスタイル。絵を描き、夜はダンスの練習をする。考え事をする。映画館へ行ったり、本のページを開いたり、現実と想像が相対的にシンクロしたりズレたりしていってる。自分はそんな中をダンスしたりしてバランスを描いていく。
今の活動の中心は年に何度か行われるaokid
city。架空の自分の街を人とオリジナルに作っていくことで、街を面白くしたい、というモチベーションより始まったプロジェクトです。僕なりのやり方で、おもしろい場所や瞬間を、なんとかして手に入れていきたいと思っています。
YouTubeで”aokid”で検索してもらえたらダンスとかパフォーマンスが見れます。
合わせてお楽しみください。
梅津庸一
美術家 1982年山形県生まれ
主な個展に2014年『智・感・情・A』ARATANIURANO(東京)など
最近は『パープルーム』の運営もしている (twitter@parplume)
http://www.arataniurano.com/artists/umetsu_youichi/
岸井大輔
劇作家。1995年より、他ジャンルで追求された創作方法による形式化が演劇でも可能かを問う作品を制作している。代表作『P』『potalive』『文(かきことば)』『東京の条件』
kishiidaisuke.com
岸本佳子
2009年より多国籍・多言語劇団「空(utsubo)」主宰。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。米国コロンビア大学芸術大学院(MFA)ドラマツルギー専攻。翻訳に、ネイチャー・シアター・オブ・オクラホマ『ライフ・アンド・タイムズ- エピソード1』(静岡県舞台芸術センターSPAC主催)、ロジェ・ベルナット作『パブリック・ドメイン』(フェスティバル/トーキョー)等。東京大学・専修大学非常勤講師。芸創connect
vol.7にて最優秀賞受賞(演出)。
クリス グレゴリー
カリフォルニア大学バークレー校東アジア言語文明学研究科博士課程。近代・現代日本演劇研究者。2015年2月から2016年2月まで、国際交流基金の博士論文執筆者フェオローシップで、早稲田大学の研究員として東京に滞在。近年、国際パフォーマンス・スタディーズ学会(PSi)で唐十郎の『特権的肉体論』(PSi上海・2014)と萩原雄太の『福島でゴドーを待ちながら』(PSi東北・2016)について発表を行った。その他の場で、「2015年安保と演劇」や遊園地再生事業団の『トータル・リビング 1986-2011』などについて、発表を行った。演劇以外に、前衛芸術全般に関する研究を行い、2014にカリフォルニア大学バークレー校で『溶解する境界線とユートピア的身体:芸術宣言や小説に於ける大正時代未来派』という修士論文を完成。現在、アングラや小劇場演劇に重点を置いて、日本の近代・現代演劇論に於ける身体・肉体について、博士論文を執筆中。
清水穂奈美
1987年、埼玉県北部生まれ。早稲田大学第一文学部演劇映像専修卒。高校演劇、大学演劇サークルを経て、東京小劇場の演劇作品等に出演している。近年、気功や太極拳等をかじり始める一方、昨年度からSTスポット主催「民俗芸能調査クラブ」に参加。“身体”に焦点をあてながら、「俳優という視座からの創作の可能性」を探っている。
萩原雄太
1983年、茨城県生まれ。劇作家・演出家・フリーライター。2007年、演劇カンパニー「かもめマシーン」を旗揚げ。主な作品に愛知県文化振興事業団主催の「第13回AAF戯曲賞」を受賞した『パブリックイメージリミテッド』、STスポット共催の『スタイルカウンシル』など。2011年、福島県双葉郡の路上で上演した『福島でゴドーを待ちながら』は、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙や、イタリア・ローマ演劇記念館の『Waiting
for godot today?』にて紹介される。
1977年生。芸術理論/アーティスト。横浜国立大学准教授。作品に『ゴダール的方法』(インスクリプト、2010、第二回表象文化論学会賞受賞)、《ピカソ他を分解する(部分的に遮蔽された)》(パフォーマンス、Take Ninagawa、2015年)ほか。雑誌等での執筆多数。
1990年東京生まれ東京在住。画家・美術家。2007年(当時高校生)から、「pixiv」「tiwtter」等SNSを中心にインターネット上で作品を公開する美術作家・イラストレーター・学生など広くクリエイターに呼びかけ、オフ会的交流を重ねる。2009年春にmograg
garageにて50人を超える参加者のグループ展「カオス*ラウンジ」企画を立ち上げる。以後毎年「カオス*ラウンジ」を開催している。2010年には黒瀬陽平と共同でより大きな企画を始め、「カオス*ラウンジ」ではキュレーターとしてだけでなくメインアーティストとしても活動している。
アーティストとしては現在、アクリル画を中心に制作。日本人の母と香港人の父のもと東京に生まれ育ち、情報技術により発達するメディア・サブカルチャーの影響を受け、高校2年生になると現代美術に魅了される。以後、社会で消費されるキャラクターの図像への関心から、絵画上でデフォルメされたキャラクター像・文字や記号・都市や風景などのモチーフを構成し、現代的な絵画のあり方を模索。2011年の東日本大震災後は、人間の「祈り」や「信仰」のかたちへの興味、生物学や地質学をはじめとした自然科学への関心など、より文化人類学的な想像力やモチーフを援用し、制作活動を続けている。主な個展に芸術係数企画藤城嘘個展「キャラクトロニカ」(2013年)など。趣味は音ゲーであり、普段はポップンミュージックやSOUND
VOLTEXのプレイに勤しむ。モバマスでは輿水幸子P。
米子匡司
音楽家。トロンボーン/ピアノ奏者。プログラマ。楽器やほかの道具を使って音楽を演奏したり、音を含む環境の制作や展示をしたり、音を扱う道具の制作(たとえば友人の家に玄関チャイムを作ったり)をしています。
直接音楽を扱うこと以外には、CDや本やその他いろいろな物品を街中で販売するための自動販売機の製作と設置。人が見聞きした事とそれについて考えた事を書くための紙とウェブの雑誌[余所見]の発刊や、自分や友人や出会った人たちが過ごすためのスペースの運営をしています。グループワークとしては、SjQ(cubicmusic/HEADZ)、およびSjQ++メンバーとして活動。同グループに2013年アルスエレクトロニカ・デジタルミュージック部門優秀賞を受賞。
主な展覧会
「街の道具・その他のこと」(梅香堂 / 大阪 / 2011)
「可塑的な抵抗」(ギャラリー@KCUA / 京都 / 2011)
「SPRING - 日常」(梅香堂 / 大阪 / 2012)
「モニターとコントローラーの向こう側へ - 美術 とテレビゲーム -」(neutron tokyo / 東京 / 2012)
「岡山芸術回廊」(玉野市宇野港東山ビル / 岡山 / 2012)
「squash domain」(ギャラリーPARC / 京都 / 2013)
「まほろば荘」(新・福寿荘 / 大阪 / 2013)
「OPEN GATE」(Hin Bus Depot Art Centre / マレーシア・ペナン島 / 2015)
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以下、「戯曲 好きにやることの喜劇」全文です。
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戯曲「好きにやることの喜劇(コメディー)」
岸井大輔
好きにやる。すると以下のようになる。
1
ずっと続く、誰でも使え見れる、場所や状況や法律や支持体や舞台の上で、好きにやる。
1−1
ない場合、作り、好きにやる。
1−2
ある場合、守り、好きにやる。
1−3
作ったり守ったりするため好きにやれないなら、好きにやれているとはいえない。例えば、好きでもない戦争や金儲けに協力するなど。
2
好きにやるのは、今ここだけと、今ここだけで思いながらやる。
2−1
ずっと続くことになっているものを使うときも、ずっと続くことはなく今ここだけと思いながら使う。
2−2
いつでもなんでも今ここだけという考えは、今ここだけの考えではないから、1に入る。たとえばアマチュアリズムや相対主義など。
3
好きにやるときは、隠れる。
3−1
好きにやった結果を公開するときには暗号化する。暗号は好きに解読されがちなので、暗号こそ好きにやることのはじまりかもしれない。
3−2
隠れ方はいろいろあり得る。隠れ方は好きにやってなくてもいい。
3−3
誰かといっしょに隠れて好きにやる。
3−3−1
いっしょに隠れている誰かが原因で好きにやれないなら、好きにやれていない。
3−3−2
一人で隠れることで好きにやれるなら一人で隠れる。例えば、心の中だけで好きにやるなど。
4
いつでも好きにやろうとする。例えば好きに生活する。
4−1
例えば日常を好きなように解釈したり、新たな社会を好きに言ったりつくったりすることも、好きにやることだ。
4−1−1
生活を好きにやるにしても、日々のくらしと好きにやることは矛盾しやすい。だから、いろんな生活運動は、現実を知って保守化し、結局、好きにやることを邪魔したりすることが多いようだ。伝統を1の「ずっと」とみなしたり生活を2の「今ここ」とみなしても、それは好きにやることとはつながらない。生み育て、食い眠り、弱者を守り力あるものは働く生活の実感の中で、好きにやるのなら、すべては実験となる。
4−1−2
伝統や生活から好きにやってきた知恵を明らかにし、得る。
4−2
1も2も3も4のことと考えることができる。
4−2−1
1の「ずっと」も2の「今ここ」も考え方だからウソである。よって好きに考えられ、好きにやれる。
4−2−1−1
1の「ずっと」や2の「今ここ」のウソをマコトのように考えると好きにやりにくくなるようだ。
4−2−1−2
「ずっと」と「今ここ」を行ったり来たりすることは、思った以上にできるし、気持ちいいし、好きにやりやすくなることを示すのは、喜劇である。
4−2−2
生活を作ったり試したりするときの方法は1、2、3にも応用できないか考えてみる。
4−3
好きにやったらどうなったか、ほかの人の経験や予想は無視する。それらを考えることは好きにやったことにならないから。その結果好きにやれなくなってもいいし、それはそのとき考えることだ。
4−4
何かが起きることはすべて貴いと考える。
5
個人では好きにやれない。集団で好きにやる。
5−1
集団と個人の関係を、今より明確か不明確にする。たとえば、責任や個人の判断が不明確であるときは明瞭にしようとし、責任や個人の判断が明確なときは曖昧にする。
5−2
好きにやりたくないなら、好きにやらないことが好きにやることだ。
5−2−1
集団の構成員の全員がその集団にいることを含め好きにやり続けることで集団で好きにやることは可能だ。ただし、好きにやらないことが好きにやることであるメンバーがいた場合、集団で好きにやっているかどうか検討する。
5−3
個々の間に線がある、あるいは生まれる、あるいは作ることから、好きにやることがはじまるのではないかと考えてみる。
5−4
集団で好きにやった経験を明らかにし、共有する。
6
1、2、3、4、5に当てはまらないが好きにやれている人は尊敬する。
6−1
好きにやっている人を愛し、興味を持ち、理解しようとすることをやめない。
6−2
この「好きにやることの喜劇(コメディー)」を、好きに書き換えてよい。
6−3
1、2、3、4、5に当てはまらないけれど好きにやれていると思うと、気がつけば、1、2、3、4、5に当てはまっていることが多い。