今週土曜日のLive Artは藤川琢史が2016年以来、3度目の登場!
展覧会の準備をしているであろう誰かが、目の前になにもものがない状態にメジャーを当てて測ってるところを目撃したところから始まったシリーズ。blanClassではパフォーマンスとして展開してきた。
最初に出演した2013年の発表では、数人の協力者とともに、パフォーマンスをした。まずは前述のように、目の前にはまだないなにかをメジャーを使って測っている行為がある。パフォーマンスとしてこの行為を見れば、例えばダンスの振り付けのように、もともとの意味が剥がれた行為のようにも見える。けれども同じ動きを街中や展覧会の準備中などにその動きを見たとしたら、きっと彼ら彼女らの頭の中には、具体的な対象が想像されているのかもしれない。などと想っていると、観客からは仕切られて見えにくい場所に陣取った藤川が対面の女性に今回のパフォーマンスの準備からの経緯とその苦悩を語り出す。先ほどの「測る人」にあった図式を今回のイベントを準備する自分と結びつけて、たどり着きべき到達点のイメージすら不在の中で、何かしらを図るように感があぐねる様そのものを見せるというパフォーマンスだった。
2013.11.12 藤川琢史[scales(仮)]
2016年の2回目の発表では、今度は自分だけではなく、来場者たちと一人一人と向き合って、頼りない条件の中で、「現在いる部屋になにかものが置いてある状態を想定して、この場所に向き合ってください」などの無理難題を投げかけて対話を進めて、自分が置かれた状況に取り込むようにして、寄る辺なき、またピンボケのイメージをも共有しようという試みか?
2016.3.26 藤川琢史[5…10…20…30…36…43]
どちらにしても、彼のパフォーマンスは、なかなか本編が始まらない。といってなにもしないわけではなく、なにかしらは行われるのだが、モヤモヤと行き場がない。そもそもの発端のイメージが「測る人」の頭の中にしかなく、見る人からは空気でしかないのだから。簡単にそこに居合わせた人たちがみんな同じイメージを共有してしまうことにも疑問を感じているからなのだろう。
藤川琢史の作品は、なかなか始まらない上に、なかなか終わらないのだ。
そして今回は、藤川パフォーマンス3部作品の完結編か? いや、非完結作品か…?
タイトルや紹介文を見ると、例えば引越しの後、うず高く積み上げられたダンボール箱の壁の中で、身動きができない状態で、片づけるでもなく、とりあえず生活を続行するような状況について、書かれているようだ。
ある状況からある状況へ移行する、そのちょうど真ん中で、少しの間立ち止まった時、頭の中をいろいろなイメージがぐるぐる回っている状態を、内から眺めるのか? それとも外から眺めて想像するのか? 今回もきっと独特な雰囲気のパフォーマンスが見られるだろう。
こばやしはるお
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【blanClass放送室】
7/20(土)のゲスト藤川琢史さんと東京都現美の隣の公園でお話ししました。blanClassでの藤川作品は、行動の手前で立ち止まり考えあぐねる様をテーマに展開してきました。今回は3部作完結編? いや非完結編か?
2019/7/15/藤川琢史/blanClass放送室
2019/7/15/Takashi FUJIKAWA/blanClass Broadcasting
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